PLAZA INTERVIEW

vol.024「演歌は、やっぱり、いいですね。」

母方の祖母が横浜生まれの日本人で、祖母に喜んでもらいたくて唄っているうちに、日本の演歌に魅了される。アメリカ音楽ももちろん好きだし、アメリカで生まれ育った若者らしく、高校時代はダンスチームのキャプテンだったという。でも、自分で唄う歌は、演歌である。アメリカなまりの演歌ではない。コブシもハートも、日本人以上の演歌である。日本人がもっと演歌を聴いて、もっともっと演歌を好きになってくれたら嬉しいという。演歌が好きなのである。演歌の良さが「身に沁みて」わかっていて、演歌を心から「リスペクト」している。演歌歌手を目指して日本に来て7年目。念願のデビューを果たし、日本中に衝撃を与えてから3年。新しい演歌の名曲が、また生まれそうな期待を持たせてくれる歌手である。今回は、レギュラーで放送されているニッポン放送の収録前の時間をいただいて、松武秀樹CPRA広報委員長が、「演歌歌手」ジェロのバックボーンと、それから「おばあちゃん」についてうかがった。
(2010年06月16日公開)

Profile

歌手
ジェロさん
ジェロ(JERO、本名: Jerome Charles White, Jr.(ジェローム・チャールズ・ホワイト・ジュニア)
1981年9月4日生まれ。アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。
■ニッポン放送「ジェロのいい歌山もり」は、毎週日曜21:30~ 22:00(30分)。パーソナリティはジェロ。アシスタントはニッポン放送アナウンサーの那須恵理子。
■ニューシングル「嘘泣き」/アルバム「カバーズ3~Roots of Jero ~」(収録曲:越後獅子の唄、津軽平野、アメリカ橋、契り、夜桜お七、津軽恋女、J)(2010年6月16日同時発売 ビクターエンタテインメント)
■NHK大阪(関西ローカル)にて、ドラマ「天王寺ブロードウェー」(2010年7月30日20:00~20:43放送)に初挑戦。

ジェロ Official Website

演歌との出会い

024_pho01.jpg ―― はじめまして。今日は収録前に押しかけまして、お忙しいところ申し訳ございません。そして、ありがとうございます。
これはファンの間では有名な話ですが、いい話なので、ここでもお聞きしたいと思います。おばあちゃんの影響で演歌のとりこになったとお聞きしていますが?
はい。本当にまだ小さい子どもの頃、おばあちゃんの家に遊びに行くといつも演歌が流れていました。それを聴いて唄うとおばあちゃんが喜んでくれるので、いつの間にか演歌を覚えて、唄うようになりました。

―― 初めて唄った演歌の曲はなんだったか、覚えていますか?
美空ひばりさんの「越後獅子の唄」でした。

―― へえー!!むずかしい歌だと思いますが、すぐに覚えられたんでしょうか?
もうすぐに憶えました。歌詞の意味まではわかりませんでしたが。

―― それから日本に興味を持って、日本語もちゃんと勉強して。日本に初めて来たのは何歳のときですか?
家では、おばあちゃんと母親の間でだけ日本語が話されていたんですが、ぼくは日本語の歌を覚えた頃、5才くらいから日本語に興味を持つようになりました。
初めて日本に来たのは、15才、高校生のときです。高校生になって正式に日本語を勉強するようになりました。そして高校生の日本語スピーチコンテストのアメリカ代表として、日本で行われる世界大会に出場するため、日本に来ました。そのときの滞在は2週間くらいでしたが、また必ず日本に来ようと思って、大学生のとき、3ヶ月間、大阪の大学に留学しました。

―― 日本の第一印象はどうでしたか?
高校生の時は、東京だったこともあって、ピッツバーグとくらべて人の多さに驚きました。
大学生の時の留学でより日本を深く知り、必ず日本に戻って演歌歌手になりたい、と思うようになりました。

演歌歌手として

024_pho02.jpg ―― 2003年に大学を卒業したあと、日本に来て、英会話学校の講師やコンピュータ技術者の仕事についていたと聞いています。その一方、来日してすぐにNHKの「のど自慢」に合格しているんですよね?
2008年「海雪」でデビューしますが、それまでと、デビュー当時の率直な気持ちは?
NHKの「のど自慢」だけでなく、仕事をしながら日本中のカラオケ大会に自分で参加しているうちに、2005年にスカウトしていただけました。とても嬉しかったです。デビューまでに2年間レッスンを積みましたが、苦しさは全くなかったです。
デビューが決まったのが、おばあちゃんが亡くなって3ヶ月後だったので、おばあちゃんが力を貸してくれたのかな、と思いました。
生きているうちに伝えられなかったのは残念ですが、おばあちゃんには、デビューが決まったあと、ピッツバーグに帰って、墓前に報告をしました。

―― その2008年、デビュー曲の「海雪」で、その年の第50回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、また第59回NHK紅白歌合戦に出場しますが、その時の気持ちを聞かせてください。
紅白歌合戦に出たときは、あの「紅白」に自分が出ているというのが、本当に嬉しかったです。
アメリカから家族が集まって、全員であの場所にいることが信じられないくらいでした。
残念ながらおばあちゃんはいませんでしたが、どうしてもステージ衣装に写真をプリントして、おばあちゃんと一緒にステージで唄いたかったんです。

―― いつもヒップホップ系、ラッパー風の衣装ですが、そこはこだわりがあるのですか?
これは完全に私服なんです。高校生の頃からこういうファッションが好きでしたし、自分らしく自然体で演歌を唄いたいという気持ちがあるので。
本当に、キャラクターを作っているというわけではないんです。

024_pho03.jpg ―― その後、CDアルバム発表、TVCMなど数々のメディアに出演されていますが、苦労がなかったわけではないと思いますが、とまどうことなどはありませんか?
テレビやいろんなイベントなんかに出ることができて、いろんな人と会うこともできて、本当にいい勉強になります。楽しいです。

―― 6月16日に、5枚目のシングル「嘘泣き」と3枚目のミニカバーアルバム(アルバムとしては、4枚目)を発売されました。アーティスト・ジェロとして、今後の抱負をお聞かせください。
カバーアルバムのほうは、演歌歌手ジェロのルーツを表現しようというものです。
「嘘泣き」は、浜圭介先生の作品で、新しいジェロを表現したいです。唄いやすく、素敵なメロディーの歌なので、カラオケなんかで大勢の人に唄ってもらえたら嬉しいと思っています。
アーティストとしては、本当になんでもありなので、毎年新しいチャレンジをしていけたらな、と思っています。多くの人に歓びを届けられる仕事だと思いますので、何でもできると思って、夢を失わずに、夢に向かっていきたいです。
一番好きなのは歌ですから、いろんな所に出て、もっと大勢の人に知っていただいて、「やっぱり演歌はいいな」と思って、演歌に注目してもらえたら嬉しいです。

024_pho04.jpg ―― ジェロさんの日本語を聞いていると、歌を聴いているときと同じように、不思議な気持ちになります。なんだか懐かしい感じさえします。
外見はアメリカ人で、ファッションなんかのスピリットもアメリカの若者らしさがあるのに、おばあちゃんやお母さんから受け継いだ「まじめさ」「まじめが美徳だった頃の日本人の心」を持っているんだなあ、と感じました。
今日は、ありがとうございました。

協力 ニッポン放送

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