CPRA Talk

Interview.001

私的録音録画補償金問題について、岸博幸氏に聞く

今回、第1回目のCPRA TALKでは、慶應義塾大学大学院教授の岸博幸氏に、私的録音録画補償金制度の問題点、今後のビジョンについてお話を聞いた。 昨年12月27日、東京地裁が下した、私的録画補償金管理協会(SARVH)と株式会社東芝をめぐる、私的録画補償金の訴訟判決について。さらには、制度の未来像についての提言である。
(2011年03月23日公開)

私的録音録画補償金制度の意義はどこに

私的録音録画補償金制度の意義は明確です。
デジタルが普及してオリジナルと同じ複製がたくさんできてしまうと、アーティストや制作側の対価取得機会が少なくなってしまう。本来得られるものが得られなくなると、当然、コンテンツの拡大再生産、すなわち文化の拡大再生産が損なわれてしまうわけです。
そうしたことは市場のメカニズムだけでは補正できないので、政府が介入して収支の再配分をしましょうということになる。したがって、目的に関しては、この制度はすごく合理的な制度だと思います。
ただ、古い制度なので、ネットの拡大が視野に入っていなかった。加えて、家電メーカー等の抵抗もあったり、経産省のメーカー優遇もあったりで、機器も新規に追加されていません。本来の制度は正しかったのに、時代の変化、環境の変化についてこなかった。その結果、制度がほとんど崩壊状態になってしまっているというのがいまの状況です。 現在では、間違いなく8割以上の人が、パソコンやハードディスク内蔵型携帯プレーヤーで音楽を聴いているでしょう。ところが、それらが対象となっていない。これは、おかしいと言わざるをえません。

このような状況を招いた原因は何か

そもそも、制度ができたときに、ネットを想定していなかった。それに加えて、ブルーレイが追加されたぐらいで、対象機器がほとんど追加されない。汎用機器も追加されていない。これは明らかに、行政の不作為、政府の責任が大きいと私は思います。
今回、私的録画補償金の不払いでSARVHが東芝を訴えるという裁判がありました。メーカー側には、メーカーなりのロジックがあるのだと思いますし、それを全面否定するつもりはありません。しかし、本来の制度の成り立ちを考えてみると、ハードメーカー側が、明らかにデジタルの恩恵をこうむっているなかで、補償金の徴収をやりたくないというのは、社会システム全体としてのロジックから見て正しいのかというと、疑問だと思います。
メーカーはよく「環境」と騒いで、「環境のために良い製品を作りました」と言います。しかし、環境は守る必要があるけれど、文化は守る必要がないのでしょうか。環境も文化も、どちらも守るべき社会的インフラのはずなのですが。
文化を守る気持ちがあったら、補償金制度に協力しておかしくない。それなのに、彼らは「特定機器に該当しない」と、さらには著作権法104条も「訓示規定」であって義務は生じないのだと主張してきたのです。そういう主張をすること自体、裏を返せば、ハードメーカーは社会全体のことには関心がないということの表われではないでしょうか。
「環境」と言っているのも、製品を売るためのロジックであって、本当に環境のことを考えているのではない。そいうことが、明確になったのだと思います。要するに、企業が社会的責任を果たしていないということです。

日本と違う諸外国の文化政策

世界各国の状況をみると、ヨーロッパではそれぞれの国の政府が、文化は自分たちの国の競争力になるのだということ、かつ、自分たちの価値観のベースなんだということを考えて、しっかり政策をとっています。
フランスなどを例にとれば、補償金だけでなく、違法ダウンロードを3回やったらネット接続を1年間切断するという、スリーストライク法をやっています。文化の延長でジャーナリズムも大事だということで、18歳になった人に1年間、政府のお金で新聞を取らせたりしている。
要は、フランスを筆頭とするヨーロッパの国は、補償金に限らず、自分の国の文化は社会のインフラ、価値観として大事だし、ネット上の競争においても、プラットフォームはグーグルなどではなく、コンテンツなのだ、という発想があってやっているのです。
しかし、日本は残念ながら、ハードメーカーはしょうがないとしても、本来それを制する役割を持つはずの政府が、口では「日本をコンテンツ大国にする。文化立国を実現する」と言っていながら、言ってることとやってることが全然違う。文化を守ることを、制度面でやっていないのです。
本当に文化を守る気があったら、補償金制度をネットの現実に合った形にし、機器ももっと適した形に加えているはずです。でも、実際にはやっていない。文化立国というのは口だけなんですね、と言わざるを得ないわけです。

SARVH・東芝裁判の第一審判決について

私は、権利者側が全面的に負けたとは思っていません。「特定機器」には認定されましたから。問題は104条の解釈で、協力義務が強制力のない「訓示規定」であるということだけです。
もちろんこれで満足するわけではなくて、当然、控訴審で議論する必要はあるのですが、仮に今回の結果で裁判が確定してしまったとしたら、「104条が訓示規定であるなら、権利者が自分で補償金を集める」ということになります。それは現実には困難です。
つまり、その部分の制度、実務をきちんと規定してこなかった政府に責任があるわけです。さらに言えば、権利者が個別に集めるなんて現実的にできないのに、ハードメーカーは協力しないというのだったら、ハードメーカーの社会的責任が問われるはずです。
もっといえば、なぜハードメーカーは、一部の機器は払って、一部は払わないのか。そういう恣意的なやり方が許されるのかということも、問題になるはずです。
したがって、今回の判決が突きつけているのは権利者ではなく、第一には、不作為を繰り返している政府であり、第二には社会的責任を果たそうとしないメーカーなのです。
今回のようなトラブルが起こる一番の原因は、明らかに政府の不作為にあるわけです。ダビング10をつくる段階で、総務省が十分に文化庁、経産省と調整をしなかった。その結果として、こういうことが起きてくる。それはすべて、政府に責任があると思います。
さらに言えば、録音のほうがユーザーの使用実態が変わってしまって、私的録音補償金制度は録画以上に崩壊しています。この部分でも政府の責任が非常に大きいので、早急に政府は対応を取らなければいけないと思います。

補償金制度の将来的な方向性は

補償金制度の将来像は、政策的にはいろいろな解があると思います。
一番柔らかい現実的レベルで言えば、今の補償金制度を手直しするという手法。それには当然、カバーレッジを広げることも必要ですし、ハードメーカー側が言ってるように、もっと透明な配分なども必要ならば、それも含めて考えなければいけないのかもしれません。
さらに、もう少し進んで、まったく別の制度を作ることもあり得ると思います。たとえば、デジタルの恩恵をこうむっている人たちがみんなでお金を出し合って、基金を積んで何かをやるとか。極端にいえば、ヨーロッパで議論されているように、いわゆる「コンテンツ税」のような形。デジタルの恩恵をこうむっているみんなで負担しましょうよという、「環境税」に近いアプローチも政策論的にはあり得るわけです。
現行の補償金制度はかなり問題が多いのですが、これをなくしてしまうとしたら、新しい制度を作らないといけない。そうしたことで、去年も、文化庁や経産省が新しい制度を作ろうとした動きはありました。ただ、現行制度も守れない相互不信のなかで、その関係者が同じテーブルについて議論しましょうといっても無理ですよね。
だから本当は、こういうときは政治の側が動いて、何らかの案を出すのが一番いいと思うのですが、今の政権ではそれは望みえないと思います。
したがって、むしろ権利者などが中心になって、自分たちで素案を考えて出した方がよいと思います。権利者の側から見ても解はいろいろあり得ますから、声を一つにして、「こういう制度がいいんだ」と。それを議論して提案することを、早急にどこかでやったほうがいいのではないかと思っています。

Profile

岸博幸(きしひろゆき) 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1986年通商産業省入省。小泉政権で経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、総務大臣の秘書官を歴任し、不良債権処理、郵政民営化、通信・放送改革などを主導。現在、エイベックス非常勤取締役を兼任。コンテンツ産業の改革を推進中。

GUIDE/KEYWORD

私的録音録画補償金制度とは

デジタル方式に限定して、家庭内の私的使用を目的とする録音・録画に対して、著作権者、実演家及びレコード製作者が補償金を受ける権利。1992年の著作権法一部改正で加えられた。デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器・媒体であって、政令で定めるものが対象となる。補償金の支払義務者は消費者で、機器・媒体メーカーの協力によって徴収され、sarah(私的録音補償金管理協会)又はSARVH(私的録画補償金管理協会)を通じて、権利者に分配される。録音機器・媒体ではDATやMD、録音用CD-Rなどが、録画機器・媒体では録画用のDVD-RやDVD-RW、2009年5月に追加指定されたBlu-rayなどが対象となっているが、現在の録音録画の主流となっているハードディスク内蔵型携帯プレーヤーやパソコンなどが指定されておらず、私的録音録画の実態に合わない制度になっていると指摘されている。

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