CPRA news Review

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民間放送局とテレビ放送の誕生-そして実演家の権利の発展

企画部広報課 君塚陽介

実演家の権利の発展

 終戦を迎え、実演家の権利保護に関する検討も再開されることになる。1951(昭和26)年、ベルヌ同盟は、国際労働機関(ILO)の協力を得てローマ草案を起草する。ところが、実演家を労働者という立場から保護しようとするILOと、著作権に関連する権利によって保護しようとするベルヌ同盟との間に意見の相違が見られた。そこで、1956(昭和31)年にはILOが草案を起草し(「ILO草案」)、翌年にはベルヌ同盟とユネスコとが、別個の草案を起草している(「モナコ(またはモンテネグロ)草案」)。これらの草案に対して、各国政府に対する見解要請を行ったが、まとまった草案を作成することが望ましいとの意見が多数寄せられたため、ユネスコ、ベルヌ同盟およびILOは、1960(昭和35)年、ILO草案とモナコ草案とを統合したヘーグ草案を起草する。このヘーグ草案に基づいて検討が重ねられ、国際条約レベルにおける実演家の権利保護を初めて定めた「実演家、レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約」(ローマ条約)が、1961(昭和36)年10月に成立することになる。このローマ条約の12条には、レコードの二次使用に関する規定が創設されている。
 わが国において放送が普及しつつある頃、旧著作権法は全面改正を迎える。1962(昭和37)年、著作権法の見直しが審議会に諮問され、全面改正に向けた検討が開始される。およそ8年に亘る検討の末、1970(昭和45)年、現行著作権法が成立することになる。このような現行著作権法の成立に向けた検討が行われている真っ只中の1965(昭和40)年に、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)は設立された。
 現行著作権法では、ローマ条約12条を手本として、実演家及びレコード製作者に対して商業用レコードの二次使用料制度を創設している。そして、1971(昭和46)年3月に、芸団協は、実演家に係る商業用レコード二次使用料を受ける団体として指定され、現在、実演家著作隣接権センター(CPRA)が、徴収及び分配業務にあたっている。

注: ※1:総務省『平成27年度情報通信白書』357頁(2015)
※2:昭和25年1月24日第7回国会衆議院電気通信委員会における網島毅電波監理長官による説明。
※3:『中部日本放送50年のあゆみ』32頁(中部日本放送、2000)
※4:NHK放送文化研究所監修『放送の20世紀-ラジオからテレビ、そして多メディアへ』92頁以下(日本放送出版協会、2002)
※5:吉見俊哉『メディア文化論』181頁(有斐閣、2004)
※6:戦前、読売新聞社の社長に就任した正力松太郎氏が、戦後、日本テレビ放送網株式会社を設立し、テレビ放送の事業化に積極的に取り組んでいたことから「正力構想」と呼ばれた。
※7:『テレビ夢50年〔経営編〕』23頁(日本テレビ放送網、2004)
※8:『民間放送三十年史』48頁(日本民間放送連盟、1981)
※9:前掲注8)『三十年史』112頁
※10:『 過去の放送番組の二次利用の促進に関する報告書』2頁(平成16年6月)http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/chosakuken/pdf/kakohousou_houkokusho.pdf
※11:『20世紀放送史[上]』389頁(日本放送協会、2001)
※12:プロダクションによる自主制作については野地秩嘉『芸能ビジネスを創った男‐渡辺プロとその時代』71頁以下(新潮社、2006)参照。
※13:鈴木秀美=山田健太=砂川浩慶編『放送法を読みとく』18頁以下(商事法務、2009)
※14:以下については、前掲注8)『三十年史』176頁以下、日本民間放送連盟編『放送ハンドブック〔改訂版〕』337頁以下(日経BP、2007)を参考にした。
※15:前掲注8)『30年史』176頁

写真提供:中部日本放送(図1)、NHK放送博物館(図2)

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