SANZUI vol.08_2015 autumn
特集 80's Spirit
80代だから、挑戦する。
歳は、取るものでなく、重ねるもの。
舞台の上やテレビの中の80代を観ていると、そう思えてくる。
若い頃にその道に入り、夢や希望を追い続け、時には失敗や挫折もあっただろう。
それでも挑戦し続けることで昇華した、人生の高み、深み、輝き。
だから、80代の「今」というピークがあるのだと思う。
40代、50代なんて、まだまだ子ども。
そう言われているような気がする、80代の挑戦者たちである。
四代目 三遊亭金馬
芸歴74年、落語の原点に帰る。
Photo / Ko Hosokawa
この道74年。東西で八百人を超すといわれる現役落語家の中で、最高最長の芸歴を誇る。1941年、爆笑落語『居酒屋』で売れに売れた三代目三遊亭金馬に入門。以来、何千回、いや何万回高座に上がったのか、もう本人もわからなくなった。
「でもね、80代半ばを過ぎた今でも、月に10日は寄席に出てるんです。トリの時は毎日ネタを替えています。あたしのことを好きだってェお客さんに、同じ噺を聞かせるわけにはいきませんよ」
67年、四代目金馬を襲名したときは、すでにテレビの人気者だった。
「講談の一龍齋貞鳳さん、物まねの先代江戸家猫八さんと競演した『お笑い三人組』(56~66年)が大ヒット。あたしも満腹ホールの竜ちゃん役で売れて、落語の稽古もせずに、全国を飛び回った。名人だった師匠が亡くなり、その3年後に四代目になったのはいいけれど、先代の名前か大きすぎるんです」
名実ともに「金馬」と認められたい――。落語ざんまいの日々か続いた。
「考えてみると、あたしは師匠金馬に稽古をつけてもらったことかほとんどないんです。覚えたネタを聞いてもらうのも一苦労でした。『師匠、お願いします』『やだ』『そんなこと言わずに聞いてください』『おまえの噺を聞くと下手になる』。粘った末にやっと噺を始めると、『ああ酒がまずくなる。あーヘ
たくそ!』なんて具合ですから」
それでも、少年時代からずっとそばにいた師匠だけに、先代金馬の教えは体で覚えている。
「新旧、時代、世話、何でもできなきゃいけない。噺家なんだから、しゃべって人が喜ばれることは何でもやれ」
師匠の教えをかみしめつつ、八代目桂文楽、六代目三遊亭圓生、五代目柳家小さんら、昭和の名人上手に稽古を願った。『子なさせ地蔵』など、新作落語にも意欲的に取り組んだ。いつの間にか、ネタ帳に書き留めた持ちネタの数が200を超えた。
「ネタが増え、自分なりのやり方も工夫した。先代とはレペルが違うけど、あたしはあたし、四代目金馬の落語をやろうと思えるようになりました。でもね。先代の売り物『居酒屋』だけは、どうやっても師匠の型になっちゃう。体に染みついているんでしょうね」
「噺家生活も長くなりましたから、落語の原点に帰って、前座ばなしの『牛ほめ』や『子ほめ』をさらおうかと思っています。八十の手習い。高座でやりたいこと、まだまだいっぱいあるんです」
取材・文 長井好弘(読売新聞企画委員)
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