裏舞台という名の表舞台
Text/Eiichi Yoshimura Photo/Ko Hosokawa
多くの人たちによってつくられる舞台。
主役のまわりに視線を転じてみると、
至る所にプロの技が輝いている。
舞台を支える人に光を当てる。
STAGE 10レコーディング・ミキシング・エンジニア 吉田 保
吉田保さんは高校卒業後に原盤制作や楽曲登録の仕事に携わった。そこでスタジオに出入りして初めて存在を知ったのがレコーディング・エンジニアという職業だった。
「もともと大学で電気関係を学ぼうとも考えていたので、とても興味を持ちました」
原盤制作の仕事よりも自分には向いていると思った吉田さんは東芝音楽工業の入社試験を受け合格。すぐに録音部に配属された。22歳のときだった。
「1968年。当時はまだ2チャンネル同録の時代ですから2つのフェーダーでバランスを取る聴力検査などの試験がありました」
入社してすぐクラシックやロックの洋楽レコードの日本盤制作のための仕事をした。
「マスター・テープと一緒に送られてきたカッティング・データと照らし合わせて、ここはノイズがあるから修正とかの指示書を書く。オリジナルのマスターを聴けたのはとても勉強になりました。これはどういう録音をしていたのだろうと気になると、クラシックなどはその録音風景の写真をもらってくれと外国部に頼み、そうか、ここにマイクを立てているんだと調べました」
まだ海外の情報が少ない時代、試行錯誤で情報を得る毎日だった。
「ロックもジャズもオーケストラも、多岐にわたるジャンルのマスターを聴いたこと、そしていろんな先輩のテクニックや知識を学んだことは大きな財産になっています。この先輩はなぜここでフェーダーを動かしているのか、そうすると音はどう変わるのか、見て覚えていったんです」
人手不足の中、入社して3か月後にはレコーディング卓の前に座るようになり、見よう見まねで録音業務も行うようになった。
「実践イコール勉強でした。当時は同録の時代だったので楽団が演奏する中でエコー処理や定位の調整を即座にその場でやらなきゃいけない。1曲レコーディングするのに長くても30分の時代ですから、もたもたしていられない。アルバム1枚を1週間で録音してしまう時代」
当時のいちばん印象に残っている仕事は欧陽菲菲さんの「雨のエアポート」(1971)のシングルだ。欧陽菲菲さんにとっては「雨の御堂筋」に続く、そして吉田さんにとっては、はじめての大ヒット曲となった。
「これは本来別の人が録る予定だったんですが、事情があって急きょやることになった。筒美京平先生の作編曲でいい曲だなあと思って録音したこの曲がヒットして本当にうれしかったですね」
その後、RVC、ソニーと会社を移り、音にうるさいミュージシャンとの仕事も増えていった。
「大滝さんたちとの仕事は印象的でした。大変でしたけど楽しいし勉強になった。大滝さんの『A LONG VACATION 』や山下達郎の『FOR YOU』、吉田美奈子の『LIGHT'N UP』は出音とアーティスト、ぼくの感性が一致してすごく出来のいいものになったと思います。レコーディングの方法も多彩になって海外のミュージシャンと一緒にやることも増えた。すばらしいスタジオとすばらしいミュージシャンが一体になってそれらの作品ができました」
現在、「吉田保マスタリング・シリーズ」として、当時の名作の数々を自身でリマスタリング作業を行っている。
「あのときの音をそのまま伝えたい。ヘッドフォンをしてヴォリュームを上げて聴いてもらうと当時のスタジオで鳴っていた音や空気がよく伝わると思います」
今後はそうしたリマスタリングの仕事と同時に後進に自分の持っている録音の技術やノウハウも伝えていきたいと言う。音楽を取り巻く環境は昔とは大きく変わっても、音楽の価値は変わらない。いい音楽をいかにいい音で録音し、リスナーにそれを届けるか。その技術とノウハウを若い世代に伝えていくのが今後の目標であり、使命なのだろう。
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