ロングインタビュー 小田和正
「聴きに来てくれる人がいるうちは歌え!」って言われて、ああ、そうかってちょっと納得した。
忘れていないことを伝えることが大事だなと思った
――新作『小田日和』にはシンプルでありながらも、聴き手に寄り添ってくる曲がたくさん入っていますが、曲作りの意識で変化した点は?
タイアップ曲の場合は、オレに求めるイメージがあった上で頼んでくることが多いじゃない? そこで裏切ってもしょうがないので、期待に沿って、書いていくわけ。それはそれで嫌いじゃないし、作業も進むし、アルバムを作る上でも助かるんだけど、そればっかりもどうかなって。たとえば、「ラブ・ストーリーは突然に」みたいなのがオレの作風だと思われているけれど、自分が音楽を好きで始めたころに求めていたものは違うわけで、ずっと遡ると、こういう曲が好きだったんだってところに行き当たったんだよ。
――こういう曲というと?
スタンダードっぽい曲。当時はそういう曲がどんな構造、コードなのかもわからずに聴いていたんだけど、今、振り返ってみると、こんなふうになってたから気持ち良かったんだなって発見がある。で、ポール・サイモンやPPMがやってたようなシンプルな音楽を自分の手でも作りたくなった。オフコース時代、軟弱だってさんざん叩かれて、ロックっぽい方向へ行った時期もあったけど、今は自分のイメージした曲を作りたい気持ちが強い。
――新作から70年代A&Mやバカラックに共通する匂いも感じました。
バカラック、いいよね。ライブを観たら、すげえ良かった。スタンダード的な大人っぽい機微ってあるじゃない? ちょっと距離を置いた感じ。自分もそういうのを作って歌いたいな。
――「その日が来るまで」のように震災を踏まえた曲も入っていますが、震災が起こって、どう感じましたか?
多くの人がそうだったように、無力だと思うばかりだった。そんなことを考える間もなく、現地へ行って体を動かした人たちもいたけれど、オレは何もできなかったし、何をすべきなのかも判断できなかった。ツアーが予定されていたので、やめちゃいけないんじゃないか、お客さんが来てくれるならやろうって、数か月遅れて、長野からスタートした。初日のMCは緊張したね。ライブで盛りあがっていいのか、笑顔になっていいのか、いろんなことが頭に浮かんだし。でも被災していないところが応援していくべきだなって。
――「その日が来るまで」はどんなきっかけから生まれたんですか?
〝元気出して〞とか〝頑張ろう〞とか、〝見守ってる〞じゃないなって。常に見守ることなんてできるわけないし、一番つらいのは忘れられることなんじゃないかと思って、〝君が好き〞という言葉に思いを託して作っていった。泣いてるお客さんがいると、ありがたいけど、そこまで背負えないって思ったりもするんだけどね。
――音楽の力ってすごいなって感じる機会も増えた気がします。
音楽って不思議なもので、自分がのめり込んでいった時のことを考えても、すごい力があると思うね。昔の曲を聴いた時、一瞬で過去の瞬間に戻れるでしょ。あれはすごい力だと思う。
――歌い手として、音楽の素晴らしさを感じる瞬間は?
楽屋で気の知れたアーティストと一緒に「あの曲、こうなってるんだな」って声を合わせて歌うのは楽しいね。それが原点。ベースのネーサン・イーストとバカラックで一番好きな曲はなんだって話になって、ふたりとも「One Less Bell to Answer」を挙げたんだよ。「お前、なんでそんな歌、知ってるんだ?」って。その曲が70年ころのアメリカの刑事物のドラマで使われていて、フィフス・ディメンションが歌うシーンが出てくるんだけど、あいつもそのシーンを知ってて、同じようにこの曲にたどり着いたことにびっくりした。〝音楽は国境を越える〞と言うけど、歌詞のないものはともかく、あるものはそう簡単に国境を越えないぞとオレは思っていたからね。でもその時は一緒に歌って盛りあがって楽しかったね。
最近、仕事をリタイアした同級生を観察している
――こんなに精力的にツアーをやっている同年代はそうはいないと思うのですが、引退を考えることは?
仕事をリタイアした同級生がいっぱいいるから、楽しく生きてるか、観察してるところ(笑)。やることがなくて寂しいとか、全然問題ないとか、いろいろ説がある。オレはどっちかなって。
――どっちだと思いますか?
オレは辞めても平気なタイプだと思う(笑)。ゴルフやったり、空を眺めたり、スタンダード聴いたりして過ごす。
――曲を作りたくなるのでは? それにライブを待っている人がいるし、辞めるタイミングはないのでは?
医者をやってる先輩がツアーを観に来てくれた時に今後の話になって、「医者、いつやめるの?」って聞いたら、「患者が来るうちはやる」って言うわけさ。「お前も聴きに来てくれる人がいるうちは歌え」って。ああ、そうかってちょっと納得したんだけど。
――小田さんにとって音楽とは?
音楽は自分が選んだものという意識が一番強いかな。小学校から大学まで、音楽とは違う勉強をしていて、それを辞めて、なんのあてもなく音楽を選んできたわけだから。
――それだけやりがいのあるものだということなんですよね。
加藤和彦さんが亡くなった時、「音楽には何もなかった」という言葉を残していて。先日、吉田拓郎と話す機会があったんだけど、「あれだけのものを残した加藤さんがそんなことを言うなんて、寂しいなあ」って。音楽をとことん追求したからこそ、音楽は夢のようなものというニュアンスであんな言葉になったのかもしれないけど、オレも拓郎も同じ気持ちだった。「音楽には何もないってことはないよな」って。そこは強く思っていますね。
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