美匠熟考
Photo / Anna Hosokawa
Number:011 Large wicker basket hat虚無僧がかぶる天蓋川瀬順輔(琴古流尺八宗家 三世)
江戸時代、尺八は普化宗の法器とされ、虚無僧のみ演奏を許されていました。各地に虚無僧寺があり、それぞれ独自の伝承曲がありました。武士しか虚無僧になれず手形なしで関所を通れたことから、隠密的役割を担っていたとも言われています。明治に入り廃宗されましたが、琴古流始祖、初代黒沢琴古が各地の楽曲をまとめ体系化していたことで、尺八は広く親しまれるようになりました。東日本大震災が起きた年の仙台七夕まつりでは鎮魂の気持ちを込め、100余人の尺八奏者が虚無僧姿で演奏しました。その後毎秋平泉で虚無僧行列をし、毛越寺
本堂にて献笛しています。西洋音楽に慣れた耳にはむしろ新しく感じるようで、海外でもZEN MUSICと称し大勢の愛好家がいます。とはいえ、尺八は日本古来の宗教観や暮らしの中から生まれたもの。日本人だからこそ表現できる世界があると思います。
協力:琴古流尺八宗家竹友社
Number:012 Baton齋藤秀雄の指揮棒中丸美繪(伝記作家)
四拍子は正方形というような指揮がまかり通っていた時代に、その概念を破ったのが齋藤秀雄である。彼は指揮には七つの基本運動があり、技術が存在すると世界で初めて示した。それは棒だけを見れば指揮者の意図が楽員に伝わる動きで、仏語が不得手な小澤征爾が渡仏直後にコンクールで優勝できたのも、この技術があればこそだった。
齋藤のレッスンは厳しく褒めることもない。一振り棒を下ろしただけで「弾けねえよ。そんな甘い棒じゃ」と罵声が浴びせられ、眼鏡が飛んでくる。休めるのは親が危篤か、38度以上の熱の時。かといってこの大先生が指揮をするとなると、極度のあがり性のために時々どこを指揮しているのかわからなくなってしまう。アクが強いから厭われもしたが、その音楽への情熱と知識を求めて弟子は後を絶たなかった。そんな齋藤の人生が凝縮されている指揮棒である。
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