特集 うたう
私たちは、歌うことで生きている。
さまざまな人生と歌でつながる人がいる。
うなることで、言葉を遥か遠くまで伝えられる人がいる。
自分自身という楽器から生の歌声を奏でる人がいる。
次元を超えて、愛のメッセージを発信する人がいる。
ジャンルも表現も違うけれど、みな、歌うことを心から楽しんでいる。
みな、歌うことで生きている。
幸田浩子オペラ歌手(ソプラノ)
中鉢聡オペラ歌手(テノール)
「体」という楽器から紡ぎ出される「生の歌声」の感動
Photo / Ko Hosokawa Text / Naoko Murota
1000人を超える観客が入る大ホールの舞台で、マイクなどを一切使わず、自分の生声だけで歌い演じるオペラ歌手。そんなオペラ歌手には、特別な訓練を受けた、日常とはかけ離れた世界の住人というイメージがある。ソプラノの幸田浩子さんとテノールの中鉢聡さんは、日本のオペラ界を背負って立つ存在。世界的に有名なイタリア・オペラから、現代の日本人作曲家が書いたオペラまで、数々の作品に出演し続けるおふたりは、まさに「特別な世界の住人」といえる。
ほっそりとした容姿と笑顔が愛らしい幸田さんは、小学校の音楽の先生をしていたお母さんとコーラスを愛好していたお父さんの元に生まれた。
「生まれた時のオギャーという声が高くて、周りからこの子は歌手になるかもしれないね、と言われたそうです。その日あった出来事を歌うのが好きな子供時代でした。そのままごく自然に歌手になって今がある、という感じです」
いわば一種のサラブレッドである幸田さんに対して、音大に入るまでオペラを観たこともなかったという中鉢さんの少年時代はどうだったのだろうか。
「中学生の時に吹奏楽部に入って音楽にハマり、トロンボーンで東京藝大に行きたいと思いました。でも、受験の講習会に行った時に明らかに僕より上手い奴がいた(笑)。これはムリかも、と思っていたら、ソルフェージュの先生に『君は声がいいから歌に進むといい』と言われてわけもわからず藝大の声楽科に入学してしまったんです(笑)」
3歳や4歳の頃からスタートするピアノやヴァイオリンと違って、声楽家はある程度大人の体と声になってからでないと訓練を始められない。幸田さんはそれを「歌手は自分の楽器を手に入れられるのが遅い」と表現する。しかも、その楽器は日々コンディションの変化する微妙な楽器で、持ち主のいうことをいつもきいてくれるとは限らない。さぞや、体調や声のメンテナンスには気を使っているのだろうと思いきや、「気をつけているのはよく寝て、よく食べて、よく笑うことですね」と幸田さん。中鉢さんも、「何も
気にしないことがいちばん大切」という。
オペラ作品は、ギリシャ神話を題材にしたものもあれば、中世ヨーロッパの貴族やお姫様が登場するもの、20世紀の日本やアジアが舞台になっているものなど、実に多彩だ。オペラ歌手は、そんな様々な時代、様々な物語をもった人物を演じるために、いつもニュートラルな状態でいることが必要なのだとおふたりはいう。だからこそ、あまり「これをしてはいけない」「あれはしなければならない」という制約を課すより、自然体を心がける方がよいのだそうだ。
ひとつのオペラ公演のために、歌手たちに用意された練習期間はおよそ40日。その間に歌詞を覚えることから始まり、役の性格や音楽内容など、実に様々な要素について考え稽古を重ねる。しかし本番の時は「すべてを忘れて舞台に上がれるのがベスト」(中鉢さん)。劇場という空間で、その場の空気やお客様の反応を体全体で感じながら歌い、演じる。オペラの舞台を観ていると、彼らがまるで全身から声を発しているような感覚にとらわれることがある。空気の振動を通して伝わってくる声のエネルギーが、聴き手の体を包み込むのだ。それは、どれほど技術が発達しても、その場でしか味わえないもの。オペラ歌手が届けているものは、まさに「生の歌声」がもたらす感動なのである。
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