裏舞台という名の表舞台
Photo / Ko Hosokawa Text / Kiyoshi Yamagata
舞台は客席から見える表舞台と
見えない裏舞台によって
成り立っている。
舞台を裏で支える人に光を当てる。
STAGE 07寄席文字 橘左近
東京・新宿三丁目の一角に新宿 末廣亭という寄席がある。周囲のビルとは対照的に昭和の風情を色濃く残す木造建て。入り口にはのぼりがはためき、出演者の名前が墨文字で書かれた板がびっしりと並ぶ。落語好きにはたまらない趣だ。この末廣亭の寄席文字を専属で36年間書き続けているのが、寄席文字書家の第一人者である橘左近さん。落語好きが高じてこの世界に入り、寄席を文字で盛り上げている。左近さんの仕事場は末廣亭の楽屋の真上。今日も落語を聴きながら筆を運ぶ。
「寄席には1か月を三つに分けて、上席、中席、下席と10日間ずつ出演者が入れ替わり興行します。ですからその度に入り口に大・小4種類ほどの看板などに出演者を寄席文字で書いています。右肩上がりで、尻上がり、そして寄席にお客さんが入るように、空席がないように、中へ中へと書くのが特徴です。私の生まれは1月2日。おふくろに『書き初めの日に生まれたから、字に縁があるんだよ』なんて言われたけど、どうだかわかりませんね。小学校の時に兄弟全員、書道教室に通わされましたが、その当時は嫌で嫌で仕方がなかったんです」
左近さんは城下町である長野県飯田市の生まれ。老舗の呉服屋の大番頭で趣味人だった父の影響を強く受けて育った。
「親父は東京に仕入れに行くたびに寄席で落語を聴き、芸事も大好きでした。住まいも色町のど真ん中でしたから、非常に柔らかい環境で育った(笑)。親父からもらった小学校の入学祝いがなんと落語全集。多分自分が欲しかったんでしょう。漢字にはふりがなが振ってあり、全部読めた。これが面白くて面白くて、学校から帰ると読みふけり、ラジオの落語放送を聴き込み、完全に落語少年になりました。小・中学校の時はみんなの前で一席やってましたから、私は人気者。途中大火にあい上伊那に転校しましたが」
高校に入るとそれだけでは飽き足らなくなり、土曜日に学校が終わると、中央線の夜行列車に乗り、片道8時間半もかけて新宿に向かった。
「伊那から、ここ新宿の末廣亭に落語を聴きに来てました。当時はまだ蒸気機関車。新宿に朝の4 時半に着いて、末廣亭で昼席と夜席までずっと聴いて、寄席がはねると
夜行列車に飛び乗って伊那に帰る。月曜日の高校の授業の眠かったこと(笑)。生で聴いた志ん生、文楽、円生らの名人の語り口は素晴らしかったですね。もうすっかり魅了されました。落語を聴きたいがために大学に入った。志ん生の追っかけをやったり、大病をして、信州に帰っていたこともあるのですが、元気になると東京に舞い戻り、また寄席通い。通い続けて行くうちに『噺もいいけど、この字もいいなあ』と招き板に書かれた寄席文字が気になるようになってきたんです」
寄席に置いてあるパンフレットはすべて集め、書かれている寄席文字を真似ているうちに次第にその独特の書体の魅力にはまっていく。
「調べると橘右近という人が書いている。寄席の資料の収集家としても有名だとわかった。私も大学時代から噺家の系図を調べていたので、親近感もあり、昭和36年に意を決して師匠の家を訪ねました。それから仕事場に出入りするようになり、3年してやっと正式に弟子として認められました。人情味の厚い師匠でしたが、寄席のしきたり、礼儀作法、芸人とのつきあい方には厳しかった。よく『おまえ、了見がよくないよ』と叱られました。『了見は文字に出る。天狗になってる時は天狗のような字、元気のない時は元気のない字だ』とね。落語と寄席文字は夫婦のような間柄。私にとっては生活の糧であり、生きる目的でもあります。寄席文字を書く時は、最後の止めを刺すまでは息を抜かず一気に書きます。私も小学校の頃から落語ひと筋。入門以来今年で50年。息を抜かずに寄席文字と噺家の系図をさらに突き詰めたいですね」
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