エッセイ
Illustration / Asuka Kitahara
戸田菜穂「体感の楽しみ」
私には娘がいる。一歳半だ。この頃ようやく外で歩くようになり、毎日娘と公園や川沿いを散歩している。すると自然と目線が下になる。一緒にしゃがんでいると、石ころや、草や、マンホール、セミの羽、ありんこ、木の根っこ等が視界に入ってくる。人間は上へ上へと目指していくものだが、あらためて地面近くで子供と同化している時間が今とても楽しい。石を投げては拾ってまた投げてをくり返している娘。犬が来たら「ワンワン」と言って近寄り、ちょんちょんと触らせてもらっている。「メープルちゃん」と「マロン君」は常連だ。それから「はっぱ」と言って、草や枯れ葉を拾っている。こうやって、物には名前があることを学んでいるのだと、感心する。
我が家は二階で、目の前は森のように木々が生い茂っているので、東京の中の軽井沢と呼んで私は気に入っている。春夏秋冬、朝昼晩、どの季節もどの時間も緑は美しい。
なるべくなら土に近い場所で暮らしたい。土と、植物の生命力を目の当たりにしていたい。
この頃、私はわざと不便さを求めたりする。撮影所まで歩いて行ったり、各駅停車に乗ってみたり、手の込んだ料理を作ってみたり。スピードがゆっくりだと見えてくる景色がある。立ち止まることも引き返すこともできる。料理も、コトコトと煮えるのを待つ過程が実は楽しい。パーッと過ぎていく時間を、手元に引き寄せたくなる。しっかり見たい。見過ごしたくない。
私はパソコンをほとんど開かない。見た気に、知った気に、行った気になるのが怖いから。80センチの娘の高さで風景を見渡し、実際に体感することがいかに大切か痛感している。
土は、人を育て、やがて、人は土に帰る。ならばその間、思いきり生きていたい。
俳優の仕事で、いいなと思うところは、激しく心が動くこと。それに尽きる。
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