vol.045「軸をしっかり持って、一つ一つの仕事で花を咲かせたい」
穏やかで明るく、周りに細かに気を配られる様子からは想像もつかないが、幼少時代孤児院で育ち、様々な苦難を乗り越えてこられたサヘル・ローズさん。舞台やテレビで活躍の幅を拡げる一方、チャリティ活動にも力をいれていらっしゃるサヘルさんに、芸能活動や故国、お母さんへの思いについて語っていただいた。インタビューアは、松武秀樹CPRA法制広報委員会副委員長。
(2014年03月31日公開)
穏やかで明るく、周りに細かに気を配られる様子からは想像もつかないが、幼少時代孤児院で育ち、様々な苦難を乗り越えてこられたサヘル・ローズさん。舞台やテレビで活躍の幅を拡げる一方、チャリティ活動にも力をいれていらっしゃるサヘルさんに、芸能活動や故国、お母さんへの思いについて語っていただいた。インタビューアは、松武秀樹CPRA法制広報委員会副委員長。
(2014年03月31日公開)
サヘル・ローズさん
1985年生まれ。イラン出身。8歳のときに日本に移住。
高校時代から芸能活動を始め、NHK「探検バクモン」「ニュースで英会話」、日本テレビ「世界番付」、フジテレビ「ノンストップ!」、映画「振り子」「ペコロスの母に会いに行く」「東京島」など、女優、タレント、キャスターとしてTV、ラジオ、映画、舞台と幅広く活動を展開し、現在、7本のレギュラー番組を持つ。
――イランで、NHKドラマ『おしん』をご覧になったことがきっかけで女優を目指されたそうですが。
イランでは、革命後、女性は人前で歌うことを禁じられていますし、映画やドラマでも男性より前に出て演じることはほとんどありません。しかも、私のように施設の中で育つと、なかなか自分の感情を外に出せないんです。一方『おしん』では、自分のように小さな女の子が懸命に生きる姿がテーマになっている。男性に頼ることなく生きる様子にすごく感動して、いつか自分もブラウン管の中で感情のエネルギーを思い切りぶつけたいなと思ったんです。とにかくここから抜け出すには、このブラウン管の中に入るしかないとまで思っていました。
――その後日本に来られて、10代に芸能界入りされましたが、注目されるきっかけとなった滝川クリステルさんのものまね「滝川クリサヘル」のキャラクターはどういう経緯で生まれたんですか?
まだ事務所に入る前に、友人から、「『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦SP』というテレビ番組で一般参加を募集しているから、応募してごらんよ」と言われまして。私は、人前で歌を歌うのが苦手なので躊躇していたんですが、遊びだと思って気軽に行ってみては、と強く勧められたんです。ですので、ノーメイクでTシャツ短パンスニーカーという姿でオーディションにいったんです。もう落ちる気満々で。
「もののけ姫」のテーマ曲を歌ったところ、ディレクターから、「歌はどうでもいいんだけど、顔が気になるんだよね。滝川クリステルに似ているから、それで出てみよう」って言われて、美容室で髪の毛をばっさり切られて。
――それは驚かれたでしょう(笑)?
クリステルさんに似せたスーツも全部用意してくれて。それに日本テレビの『THE・サンデー』の方が注目して下さって、一回だけ出してみようという話になったんです。でも私はものまねで呼ばれたと全然思っていなくて。当日メーク室に、クリステルさんの写真がずらーっと貼ってあって、「じゃあ、クリサヘルでお願いします」と(笑)。私は「すみません、顔だけ似てると言われて出たので、全く研究とかしていないです」といったら、ディレクターが「じゃあ、YouTubeを見てみよう」って。貴方がやった方がいいんではないか、というくらい、ディレクターの方がずっとうまくて。彼女は語尾の一歩手前に一回間をおいて「です」と言うから、とか、色々指導を受けた上で出演したんです。
――なるほど。
私としては一度きりのつもりだったんですが、インターネットなどで話題になったおかげでレギュラーになり、そこから徳光さんや色々な方の計らいで、徐々に知っていただけるようになりました。
――女優を目指されていた中で、こうした注目のされ方に葛藤はありませんでしたか?
正直なところ最初はありましたね。今では、一つの引き出しが出来たと前向きに受け入れていますが。はじめてクリステルさんにお会いしたときは、すごく気まずかったです(笑)。
――お会いになったんですか。
何とお声がけしたらいいのか分からなかったんですが、先方から来て下さって。「みんなで応援しているからがんばってね」って。その後も私が司会をしているチャリティーイベントなどでお会いするんですが、そのたびに「見てるわよ。がんばってね」って毎回声をかけて下さるんで、本当にうれしいです。
――そうですか。そんな「お・も・て・な・し」が(笑)。ところで、先ほど人前で歌うのが苦手と仰っていましたが、やはりイランでのご経験からでしょうか。
そうですね。聴くのは大好きだし、音楽がないと生きていけないくらいなんですが。実は、この間ミュージカル風の舞台に出させていただいて。最初に演出家の方に「私は歌わないですよ」と伝えたので了解いただいたと思っていたのですが、いざ台本ができてみると、一人舞台に立ってがんがん歌うことになっていたんです(笑)。
――アカペラですか。
それもありました。バンドの方がいらっしゃる場合でも、他には誰もいなくて、逃げ場がないという。共演者の未唯mieさんに色々と助けていただきました。「歌の魅力は上手い下手ではなくて、ハートなんだよ」って。あんなスターの方が、本番中でも自分の出番が終ったら、すぐ控え室に来て下さって、「今日はこうやって歌ってみようか」ってアドバイスをして下さって。本当に感謝しています。
――声っていうのは生まれたときから与えられている楽器ですからね。音痴とか仰る方もいるけど、絶対にないと思いますよ。歌い方さえわかれば。
本当にそうですね。しかも私が歌った曲が、偶然にもカルーセル麻紀さんの「戦争は知らない」だったんですよ。私にとって、幼少時代の経験と重なる部分が歌詞の中にもあって、歌っているときも涙がこみ上げてきて、「ああ、歌の力って偉大だな」と痛感しました。
――本当にそうですよね。ところで、舞台だけでなく、バラエティやドラマ、映画、朗読、さらには映画の吹き替えと幅広く活動されていますが、それぞれどのような気持ちで臨まれているんですか。
それぞれ状況が違うんで、一言では難しいですね。ただ、別に私は天才肌でも何でもない凡人中の凡人ですが、だからこそ普通の良さがあるんじゃないかな、といつも思っています。といって、努力を惜しんでいるということでもなく、それをあえて表に出す必要もないと思っているんですが。「サヘル」という人間をこれからどう作りあげるかが基本なのではないかな。私が悪い方に成長していけばお芝居をしても伝わらないし、自分の軸を常に持っていなくてはと思います。その軸から出ている枝が、それぞれのお仕事なので、一枝一枝どう花を咲かせるかをいつも大切にしています。
「私の職業は寺山修司である」という有名な言葉がありますよね。私はそれを目標にしていて、「私の職業はサヘル・ローズである」と言えるくらい、自分の軸をしっかりともって、沢山の枝を増やしていきたいと思っているんです。
――その枝の中で一番大切にしたいのは。
やはり芝居ですね。少し矛盾するかもしれないんですが、サヘル・ローズという軸を大切にしたい一方で、常に「サヘル」でいるのは疲れるんですよ。素でいるのは。バラエティやキャスターのような仕事も大切にしていますが、そればかりだと、エネルギーが吸い取られてしまう。だから、私に肉付けしてくれる舞台とテレビのお仕事が半々になったらいいな、と思っています。
――それは全ての芸能で言えることではないんでしょうか。ライブで直接人に訴えかける喜びというのは。毎回毎回違いますよね。
違います。私はどちらかというとだめ出しされたい方なので、お客さんの反応がリアルに返ってくる舞台が好きです。それに他の役者の方や演出家の方、みんなで創っているんだということを実感できます。
――そういうことって本当に大切ですよね。最近は音楽も共同で創る作業が少なくなってきているんですよ。芸術って言うのは、みんなで創っていくべきだな、って思います。
本当にそうですよね。例えばリポーターとしておいしいものを食べたり、楽しいことを体験したりしますが、寒いと言ったらカイロを渡してくれたり、その日のために何週間も前から走り回って準備して下さっている方がいる。視聴者からは私一人しか見えないかもしれないけれども、本当は顔も名前も画面上に出ない沢山の方々が関わっている。別に優等生ぶっているわけではないけれども、創り手の思いをどこかで感じたいし、ただ言われるままに役割をこなすのではなく、みなさんが一緒に何を創りたいのか、なるべく汲み取りたいと思っています。
――そういう気持ちから、いい作品が沢山創られるんだと思います。さて、話は変わりますが、色々と辛い経験をされた母国イランについて、どのような思いを抱いていらっしゃいますか。
私は7歳で今のお母さんと出会って、養子縁組をしました。そのせいでお母さんは家族から縁を切られてしまい、お母さんの婚約者を頼って日本に来たんです。そんなことがあったので、高校生くらいまで自分の国に興味が持てなかったし、好きでもなかったんです。イランに帰っても待っている人がいるわけでもなかったですし。当時は偽装テレフォンカードや不法滞在などがニュースで大きく取り上げて、イラン人というだけで不当な扱いを受けることもありました。だから、なんでこんなに嫌がられる国に生まれてしまったんだろう、と正直思っていました。 だけど、この仕事で、自分の国のイメージを自分を通して変えていきたい、そのためにがんばりたいと活動されている海外の方に沢山出会ったんです。それで、一人でも発信の仕方を変えれば、報道でなく、一人の人間として注目されたら、国のイメージが変わるんだな、それだったらちょっとがんばってみたいな、と思うようになったんです。
それと同時に、何度かイランに帰ったときに、貧富の差が大きいこと、施設で虐待を受けている子どもが多いことを目の当たりにしたんです。そして、施設出身という自分の過去は変えられないし、それを忘れてしまったら私じゃない、原点に戻るためにも、ここにいる子供たちに何かいい影響を与えたいな、と強く思ったんです。
施設の子供たちに、「私もあなたたちと同じような施設から出てきて、日本でこういうことをしているんだよ」と伝えたら、「お姉ちゃんみたいになりたい」って笑顔になってくれたし、「私たちもがんばれば、自分の人生を変えられるの?誰かに見てもらえるの?」って。そうか、私の生き延びた理由はこれなんだ、今の自分の状況に満足して終わるんじゃなくて、自分の活動を発信することでイランでも注目して欲しいし、施設にいる子供たち、施設を出た子供たちに自信と勇気を与えたいなって純粋に思ったんです。
――それはとても重要ですね。
それからは、自分の国に愛情が持てるようになりました。この間生家の場所を捜しに帰ったんですが、見つからなくて。それでもこの国は私にとって父親のようなもの、だから捨ててはいけないって思っています。「サヘルの家」っていう養護施設をイランに作ることが目標です。
――日本とイランの架け橋のようなこともされているんですか?
実は一年くらい前に、「これから自分がいた施設に20年振りに帰ります。よかったら、施設の子供たちに手紙を書いてくれませんか」ってツイートしたんです。そしたら沢山リツイートしてくださって、手紙とプレゼントもいっぱい届いたんですよ。それを一つ一つ子供たちに渡して、手紙を読んであげました。子供たちは、身寄りがないですから、初めて手紙をもらった子ばかり。宝物だ、とすごく喜んでくれました。
お互い顔は知らないかもしれないけれど、心と心がつながるような出来事だったので、これからもこういったつなげ方をしていきたいなと思いました。
――本当に素晴らしい活動をされていますね。戦争で一番犠牲を受けるのは、どうしても老人や子どもといった弱い立場にある人々で、そういう人々を芸能の面からも何か手助けしたいな、といつも思います。
本当ですね。だから、アンジェリーナ・ジョリーが目標なんです。彼女が動くことで、多くのメディアに取り上げられ、それによって「ああ、ここはこうなんだ」と視聴者の皆さんが気づく。それがたとえ、1週間しか記憶に残らなかったとしても、その中から行動に移す人が必ず一人はいるはず。だから、私ももっと影響力をもちたい。そのためにもっとがんばって、皆さんに知っていただいて、何か形を残していきたいと思います。
――本当にそうですね。これからも是非そうした活動に力を注いでいただければと思います。ところで、私共芸団協CPRAは、放送番組のDVD化や海外への番組販売などの際、俳優や出演者の方々に代って許諾し、使用料等を徴収分配しています。数々の放送番組に出演されている立場から、我々CPRAの活動に感想とか、期待とかメッセージをいただけますでしょうか。
私も自分の出演した放送番組がその後どのように使われているのか、なかなか把握するのは難しくて。そこを代理人というか、守って下さる方々がいらっしゃるんだなと思いました。ちゃんと眼を配っているところがあるんだと思うと、安心して新たな仕事に挑めます。
――『おしん』がイランで見られたように、海外で番組が見られるのも、私たちのような組織が個々の実演家に代って権利処理を行っているからだと自負しております(笑)。
本当ですね。日本には沢山素晴らしい作品があるけれども海外では知られていないものもありますよね。もっと海外に発信して行けたらと思います。それにイランではあまりそういった団体が育っていないので、見習って欲しいと思いますね。
――私たちも、手本となるようにもっとがんばりたいと思います。それでは最後に、今後やってみたい、挑戦してみたい役柄等ございましたら、教えて下さい。
いつか、自分の半生を映画化することが大きな目標です。その中で、今のお母さんの役を演じたいんです。別に自分がフィーチャーされたいというのではなく、お母さんの存在、名前を歴史に残すことで、恩返しになるんではないかと信じているんです。そして海外で賞を受けて、その賞をお母さんに渡すことができたら、こんなに嬉しいことはないと思っているんです。そのためにもっと力をつけていきたい。ありがたいことに色々な方のご縁で、色々なお仕事をさせていただいているので、これからもがんばっていきたいです。
――そうですか。お母さんは優しい方なんですか。
いいえ、厳しいです(笑)。この仕事をして一回もほめられたことはないです。毎回初日の舞台を必ず観に来てくれるんですが、駄目出しのオンパレードで。悔しくていつも泣いています。でも母親だからこそ見えるところもあると思うので。大人になると叱られることもないので、とても嬉しいし、それでいいと思っています。ほめられたら終りだもの。
――お母さんはすごい先生なんですね。
本当に。人生だけでなく、色々な面でよき理解者でもあります。
――お母さんを大切に。これからも心から応援しています。