PLAZA INTERVIEW

vol.035「俳優としての矜持を持ち芸に精進を」

ドラマやCMなどで、1度も顔を見ない日はないというほど売れっ子の西田敏行さん。しかし、その顔は何度見ても「あきがこない」どころか、見れば見るほど人の心を和ませ、何か楽しい気持ちにさせてくれるという、独自の雰囲気の持ち主です。そのキャラクターの源泉は40年を超える芸歴とたゆまぬ精進によるものですが、東日本大震災という未曽有の災害が起きた今年、出身地である福島など被災地に何度も出向いて精力的にボランティア活動を重ね、災害復興に関して積極的に発言もするなど、しっかりとした社会的意識を持ち続ける人間性にも負うところが大きいようです。様々なことがあった2011年の年の暮れ。21年ぶりに出演することになったNHK紅白歌合戦を間近に控えた西田敏行さんに、演技や歌にかける思いから、日本俳優連合理事長としての権利問題への意識、そして、故郷、福島など被災地の復興への願いに至るまでを、CPRA法制広報委員会の松武秀樹副委員長がしっかりと伺いました。
(2011年12月26日公開)

Profile

俳優・歌手・タレント 西田敏行さん
1947年福島県郡山市生まれ。明治大学農学部中退後、68年に青年座俳優養成所に入所。70年に卒業し、青年座座員に。同年の青年座公演『写楽考』で早くも主役に抜擢される。77年『特捜最前線』78年『西遊記』80年『池中玄太80キロ』などのテレビドラマに主演する一方、81年には『もしもピアノが弾けたなら』が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に出演。20年以上続いた『釣りバカ日誌』など映画でも活躍。08年紫綬褒章受章、09年日本アカデミー賞功労賞受賞。日本俳優連合理事長。

舞台は自分のフランチャイズ

035_pho02.jpg ――テレビや映画などで多彩にご活躍の西田さんですが、俳優を志したきっかけはどういうことだったのでしょうか。
これはもう、100%父親の影響ですね。私の親はシベリアから福島に引き揚げて来たのですが、私が5歳のときに実父が亡くなって、それから養父母に育てられたんです。その養父が公務員でしたけど、無類の映画好きでしてね。週末になると映画館に連れていってくれたもので、私も小学校5年生ぐらいには、将来は俳優になろうと考えていました。

――そうですか。1970年から青年座に所属され、「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエ役などは10年近く演じてこられました。舞台への思い入れは、やはり強いものがありますか。
そうですね。心のどこかに、表現媒体として、舞台は自分のフランチャイズだという気持ちは常にあります。ある種の郷愁と、自分の表現力がここで磨かれたんだという思いですかね。そして、舞台に準じてクリエイティブな気持ちにさせられるのは、映画かもしれないですね。

035_pho03.jpg ――今までで一番印象に残っている役は?
舞台でいえば青年座でやった、矢代静一さんの『写楽考』。東洲斎写楽の役が、自分の原点だと思っています。映画ではやはり、自分が初めて出た、吉村公三郎監督の『襤褸の旗』ですね。日本で最初の公害と言われた足尾銅山の鉱毒事件で、田中正造を三國連太郎さんがやられて、反体制派農民の一人の多々良治平という役をやったときです。

――社会派の映画ですね。
日露戦争前の富国強兵の時代に、鉱毒で農民が塗炭の苦しみに喘いだときの話です。しかし、今年起きた3・11の原発事故などを考えると、今でも同じことが繰り返されているような感じで、人間はもっと歴史から学ばなければいけないという気持ちになりますね。僕はそういう反体制派農民の役も好きな役でしたが、もちろん、『釣りバカ日誌』の浜ちゃんも好きな役ですよ(笑)。企業に勤めていながら反経済的というか、経済発展の下敷きにされる側の、ちょっとうるさい男のようなキャラクターですね。

音楽の持っている力に共鳴

035_pho04.jpg ―― 一方で西田さんは歌も歌われていて、今年も紅白歌合戦にご出演されるのですね。
音楽は嫌いじゃないんですが、本業にするまでは思い至らず(笑)、芝居での表現の手段としてとらえてきたつもりなんです。ただ、3・11以降の活動をみると、役者は舞台一つやるにしても大掛かりになってしまいますが、シンガーは身一つで被災地に行き、楽器1台あれば表現できて皆さんに元気になっていただけ、復興の力にしていただけるんですよね。

――音楽にはそういう力がありますね。
僕も被災地に行ったら歌ってくれって言われて、アカペラで『もしもピアノが弾けたなら』を歌ったら、皆さんが聴き入ってくださる。歌っていうのは、力を持っているんだなと思いました。そうしていたら、秋元康さんが『あの街に生まれて』を作詞してくれたので、福島のコンサートで歌いました。皆さんが涙して聴いてくれたのでこちらも感激して、そういう意味での歌の活動ならば、やってもいいなとい う感じでいます。

――素晴らしいですね。ぜひ大晦日には、全国の方々にそのお気持ちを伝えてください。
はい。そういう思いで、今回は紅白に参加させてもらおうと思っています。

俳優が仕事に打ち込める環境で

035_pho06.jpg ――西田さんは日本俳優連合の理事長でいらっしゃいます。俳優の権利を保護する条約(WIPO視聴覚実演条約)は、2000年の外交会議では策定できなかったのですが、来年ようやくその会議が再開され、条約が成立する見通しであると言われています。この条約策定に関して、どのような思いをお持ちですか?
俳優の権利の一つひとつが、ちゃんと自分たちの胸に収まる状況に早くなってほしいですね。そうなることで、俳優も俳優としての誇りを持って仕事ができるし、芝居の表現力を豊かにしていけるんじゃないかと思っています。自分たちも、それなりの労力と資本をかけて舞台に立っているので、その誇りをズタズタにするようなことのないようにしてもらいたいなというふうに思っています。

――先ほども出ましたが、西田さんは福島県ご出身ということもあり、大震災以降、積極的にボランティア活動をされたり、福島応援ショップ「福島屋商店」の応援団長に就任されたりしていますが、震災復興はまだ始まったばかりですね。
本当にまだ、緒についたのかどうかもわからないような状況です。行政的には、まだ何も手が下されてないと思うんですよ。そういうふうに行政がなかなか動かないなかで、せめて市民レベルではちゃんと心を通わせ、物心ともに豊かな支援ができるような態勢を早く整えられるよう協力していきたいと思っています。

035_pho05.jpg ――とくに、子どもたちのことなどを報道で見たりすると、非常に心が痛みます。
やっぱりこれは、日本国民全員が一丸となって支援していく以外に方法がないと思います。あの原発事故は、たまたま福島で起きてしまいましたけど、原発があるところではどこにでも起きうる問題ですから。本当に、明日はわが身だという気持ちで、皆さんに真剣に対峙してもらいたいなと思います。

――本当にそうですね。西田さんも今年は、『ステキな金縛り』や『はやぶさ/HAYABUSA』『探偵はBARにいる』などのご出演で、第24回日刊スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞されるなど、大変にご活躍されました。その、いろいろなことがあった1年も、間もなくあらたまろうとしていますね。
いろいろな仕事をさせていただき、評価もしていただいて、本当に俳優として幸せだと思っています。あいつにこういうことをやらせてみたい、こんな役はどうだろうというようにおっしゃってくださる、制作サイドの方々には本当に感謝したいと思います。そして、そういうふうに思っていただくために、こちら側も、常に何かを発信していなきゃいけないし、こういうものをやらせてみようと思わせるような 、魅力といいますか、興味を持っていただけるようなものを持っていなきゃいけないと思います。そのために、やはり日々精進といいますか、研鑽といいますか、そういうことも必要だということをしっかり心にとめていこうと思っています。

――ぜひ健康にご留意されて、これからもがんばっていただければというふうに思います。今日はありがとうございました。

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