PLAZA INTERVIEW

vol.031「日本復興のため自分たちでできることを」

デビュー間もないころ、「お嫁さんにしたい女性ナンバー1」と呼ばれて話題となり、多くのファンの心をつかんだ竹下景子さん。『遺書』などの舞台や、『祭りの準備』などの映画、テレビドラマ出演で、女優としての地位を確立していった。一方で、クイズ番組『クイズダービー』では司会の大橋巨泉から「三択の女王」と呼ばれ、16年間にわたって正答率の高い回答者として活躍してきた。こうした多彩な芸能活動の傍ら、「世界の子どもにワクチンを日本委員会(JCV)」ワクチン大使、国連食糧計画協会(WFP)親善大使、「富良野自然塾」の環境教育プログラムインストラクターなど、社会的な活動にも多大な力を注いでいる。今回は、竹下景子さんの初舞台で和宮様の「本物」「偽物」役で共演した丸山ひでみCPRA広報委員が、38年にわたって活躍してこられた女優としての思いから、東日本大震災をはじめとする社会問題に取り組む意識にいたるまでを、ざっくばらんにお伺いした。
(2011年05月10日公開)

Profile

女優 竹下景子さん
1953年愛知県名古屋市生まれ。東京女子大学文理学部社会学科卒業。NHK『中学生群像』出演を経て、73年NHK銀河テレビ小説『波の塔』で本格的デビュー。映画『男はつらいよ』のマドンナ役を3度務め、『学校』では第17回日本アカデミー賞優秀助演女優賞、07年の舞台『朝焼けのマンハッタン』『海と日傘』で第42回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。芸能活動の一方、05年日本国際博覧会「愛・地球博」日本館総館長をはじめ、「世界の子どもにワクチンを日本委員会」ワクチン大使などで幅広く活動している。

お嫁さんにしたい女性ナンバー1

031_pho01.jpg ―― こうやって、あらためて向かい合うと、なんか照れくさいような(笑)。
そうよね(笑)。私が初舞台だった『和宮様御留』で共演して以来のお付き合いですものね。

―― あのときは、私が「本物」の和宮で、景子さんが「偽物」の役だったんですよね(笑)。偽物が主役のお芝居だったから。
本当の主役は、共演していただいた司葉子さんや草笛光子さんだったんですよ。先輩方と比べたら、私なんか全然開けっぴろげで、「女優」なんていう感じじゃなくって(笑)。

―― でも景子さんは、デビューして何年かしたころ、「お嫁さんにしたい女性ナンバー1」と呼ばれましたよね。
『素晴らしき仲間』というテレビ番組に出させていただいた時、政治家の荒船清十郎先生がリップサービスで、「竹下君はうちの息子の嫁にしたいようなお嬢さんだね」とおっしゃったんです。それが独り歩きしてしまったんです。私は良妻賢母型でもないし、親の反対を押し切って大学に行く口実で上京し、実はテレビに出ていたような娘だったのにね。

―― プロデューサーに、「景子ちゃん、もう少しお化粧してきなさい」なんて言われてましたよね(笑)。私も同じだったんですけど(笑)。
アハハハ(笑)。あのころって、「女優らしくする」なんていう意識は全然なかったですからね。

テレビから始まり映画や舞台に

―― 最初のお仕事はテレビだったんですね。
高校1年のとき、NHKの名古屋で今の『中学生日記』、当時は『中学生群像』といっていたドラマに、中学3年生役で出させていただいたのが最初だったんです。

―― 東京へいらしてからは、舞台やテレビ、『クイズダービー』など、いろいろなお仕事をされてきましたが、映画にもたくさん出演されていますね。
私が大尊敬する高峰秀子さんが、映画というのは表方も裏方もなく、作品のためにそれぞれが1本の釘になって家を造るようなものだとおっしゃったんですけど、その家を建てるのは監督なのだと思います。私が出演させていただいた『祭りの準備』の黒木和雄監督も、七周忌を記念してご郷里、米子の美術館に最近アートシアターができた岡本喜八監督も、あまり何もおっしゃらない方なので、私はどうしていいかわからなかったです。でも監督は、そこにいれば役割を演じているという人を、役に割り振っていたんでしょうね。

―― 山田洋次監督の寅さんシリーズには、違うマドンナ役で3回出演されていますね。
山田洋次監督も、私が何か考えて演じる以前に、作品のなかで描いて下さったのだと思います。映画監督というのは、本人以上に描き出す力を持っている人じゃないでしょうか。

―― ご自身が出演された映画や舞台で、記憶に残っているものはありますか。
忘れられないということでいうと、映画でいえば寅さんシリーズ。舞台でいうと、やはり最初の『和宮様御留』ですね。

―― テレビドラマも数多く出演されていますが、印象に残るものは?
『北の国から』が、今年で番組放送30年なんです。富良野には20年以上通いました。今でも富良野には、ロケのために建てた五郎さんの小屋とか、私が演じた五郎さんの義理の妹、雪子おばさんの家も残っていて、「今でも『北の国から』のドラマはここで続いている」と土地の方が言うように、皆さんの中で生きているんです。

――大きな話題を呼んだドラマでしたね。
今年のように大きな災害があると、家族や人との絆の大切さが見直されますよね。私たちはそういうメッセージを30年前に発信する側にもいたし、受け取ってもいたということを改めて思うと、あの番組に参加させていただいたことは大きな宝物だったと思います。

数多くのボランティア活動に

―― 景子さんのホームページを拝見すると、ボランティア的なことをたくさんやってらっしゃるんですよね。
私の年齢になると、いろいろとね(笑)。特にこれをしたいというものがあるわけではないんです。たとえば、JCVの「ワクチン大使」。今の日本ではまず死ぬことはなくなった伝染病で亡くなる子どもたちが、発展途上国にはまだ多いので、ワクチンや関連物資を支援する団体です。それは、私たち自身が小さいころ、予防注射のワクチンを外国が援助してくれたというようなことを知って、ぜひやらせて下さいってお引き受けしたり。そうこうしているうちに、いくつかになったわけです。

―― 阪神淡路大震災の復興支援コンサートもありますよね。
今はメモリアルコンサートとなって、私は毎年、神戸で朗読をしています。最近はむしろ、震災を知らない子どもたちにその経験を伝えていく大事さを感じています。どういう人が生きていて、ある方は亡くなられ、ある方は人生を大きく変えられたというような、一人ひとりのことを伝える方が、次の世代にも受け入れられるのではないかと思うのです。

日本を復興していくこれからに

―― 今回の震災から復興していくために、私たちにはどんなことができるでしょうか。
倉本聰先生が始められた「富良野自然塾」の環境プログラムが、愛媛県の今治市にもできるというので、私もインストラクターとして、サッカーの元監督、岡田武史さんと一緒に昨日まで行ってきたんです。そこで岡田さんが話していたのですが、今回、被災をされた方たちのところに3週間後にサッカーボールをもっていらしたんですって。校庭の一角でサッカー教室を開いたら、最初はあまり表情がなかった子どもたちも、最後はすごく喜んでくれた。そして、その子どもたちを見ていた大人たちの表情が、ものすごく明るくなったそうなんです。

―― 子どもの笑顔は、元気を与えてくれますよね。
子どもは未来だし、希望だと思うんですよ。子どもたちが元気になっていくことで、大人も未来を託せる。じゃあ何が子どもを元気にできるかと考えると、スポーツの力だったり、文化の力だったりする。そうなると、私たちの出番もあるかなと思っているんです。何か新しいことを始めるというより、私たちのできる範囲で、寄り添う気持ちを持ってやっていくことで、みんなが希望を持てるようになることが、大事じゃないかなと思います。

―― これからの復興には、多くの時間も努力も必要ですからね。
だから、一過性のものではなくて、「日本中のみんなが見守っているよ、同じ気持ちでいるんだよ、だから一緒にやっていこうね」って、寄り添っていくことが必要なのではないでしょうか。私たちは言葉が仕事なのだから、そういうことを表現していけるのではないかと思います。

―― 多くの実演家の人たちも同じだと思います。こういうとき何ができるかって考えた時に、やっぱり実演をしたり、言葉で伝えることしかないんですよね。日本を復興していくために、ジャンルを超えてみんなで何かができたらいいですね。
音楽の力も、映像の力も大きいですからね。そのときには、ぜひ私にも声をかけてください。

―― こちらこそ、よろしくお願いします。今日はありがとうございました。

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