PLAZA INTERVIEW

vol.028「マンボ!盆栽!サンタクロース!」

あまりにも多彩な活躍ぶりで、何が本職なのかわからないほどのパラダイス山元さんだが、東京パノラママンボボーイズでマンボパーカッショニストとしてメジャーデビューした、れっきとしたミュージシャン。その後、パラダイス山元と東京ラテンムードデラックス、東京パノラマラウンジなどのバンドユニットでも活躍してきた。一方で、盆栽の鉢に、木やコケと並んでフィギュアを乗せる「マン盆栽」の創案者、家元でもあり、また、自称「餃子の王様」、会員制の餃子専門店「蔓餃苑」の餃子職人兼オーナーシェフでもある。しかし、なんといっても名高いのは、日本で、いや、アジアでただ一人の「グリーンランド国際サンタクロース協会公認」の公認サンタクロースであることだ。クリスマスシーズンを間近に控えたある日、パラダイス山元さんの事務所兼厨房「蔓餃苑」にお邪魔し、音楽の範囲をはるかに飛び越えた、抱腹絶倒のエピソードの数々を松武秀樹CPRA広報委員会委員長が伺った。
(2010年12月08日公開)

Profile

ミュージシャン パラダイス山元さん
1962年北海道生まれ。日本大学藝術学部を卒業後、富士重工業に入社。レガシィツーリングワゴン、SVXのデザイン開発に携わった。その途上、小学生から敬愛していたマンボの王様ペレス・プラードから 「アーッ、うっ!」を伝授され、ミュージシャンとしてメジャーデビュー。東京パノラママンボボーイズで活躍。同時にマン盆栽家元、蔓餃苑オーナーシェフ、入浴剤ソムリエ、脚立評論家など、その多彩で不可思議な活動は言語に絶する。

小学生でマンボに出会い

028_pho01.jpg ―― ラテン音楽を山元さんが一言で表現すると、どうなりますか。
卑猥な、大人の音楽です(笑)。

―― 「8時だョ!全員集合」の、加藤茶さんの音楽でラテンに目覚めたとか。
「ちょっとだけよ~」で流れる「タブー」でラテン音楽に目覚めました。本当です。ペレス・プラード楽団のレコードを手に入れてから、ちょっと人生が変わりました。子ども心に、ムラムラする卑猥な感じがわかるんですね。まわりはみんなビートルズとかで、一人だけ完全にズレてました。その後、大人になってからプラードが日本に来た時に追っかけみたいなこともやって、すごく迷惑だったと思います。

―― ペレス・プラード氏から、「アーッ、うっ!」というかけ声を伝授されたんですね。
いや、勝手に押しかけていったんです。当時、私はまだ富士重工でカーデザイナーをやっていて、ミュージシャンを志していたわけじゃなくて。でも、懇意にしてもらっているうちに、プラード氏は亡くなっちゃって。ティト・プエンテというもうひとりのマンボキングとも、日本に来るたびにつながりができて、いっしょにお酒飲んだりお寿司食べに行ったりしてたんですけど、その人も亡くなってしまいました・・・・・・。

盆栽ブームに火をつけた

―― 一方で山元さんは、「マン盆栽」の創案者で家元。盆栽の魅力はどのようなところに?
最初はコケが好きになったんですよ。道ばたに生えてる、なんでもないコケが。それから、鉢に土を入れて苔を盛っただけで北海道の原野のような感じになるのが、日本人独特の美意識で悪くないなって思い始めて。(「ここにあるんですけど」、とフィギュアの乗った盆栽を取り出す)

―― すごい。小宇宙ですよね。
完全に小宇宙ですね。この木は真柏(しんぱく)で、これは五葉松。ところが、これで私は、ものすごく悪者扱いされるようになってしまったんです。渋谷パルコで展覧会をやったら、初対面のまったく知らない編集者の勧められるままに「ザ・マン盆栽」という最初の本を出したんです。ところがそのあと古くからの盆栽愛好家から「とんでもない奴が現れた、ぶっつぶせ」と排斥キャンペーンまでされちゃいました!

―― ええ! なぜですか?
木だけだったらいいけど、鉢の上にフィギュアを乗せたらだめだっていうんです。でも、これを置いたから、このスケール感が出るんですよね。その後、『タモリ倶楽部』でタモリさんと一緒にマン盆栽つくったり、若い人たちに理解が広まったのはいいんですけど、フツーの盆栽をたしなんでいた人からすると、盆栽の上に人形を置くのはけしからんてなっちゃうんですね。それがまた激しい。パルコの展覧会場で、いきなりどっかのおじいさんがやってきて、「ダメダメ、こんなのは!どこのどいつがやっとるんだ!盆栽が泣いておるっ!」と会場で大声を出されちゃったり(笑)。スグに隠れて難を逃れましたが。

―― でも、個性を表わして創るもので、決まり事とかはないですよね。
マン盆栽はなんでもありなんですけど、ちゃんとした盆栽はやっぱり、「この枝振りだったら美しく見えるけど、こうしてはだめ」とか決まり事があるんです。最近私がやってるのは、枯れた盆栽を作品にするっていう「枯れマン盆」。これなんか、今年の異常気象で枯れちゃったサツキなんですけど、それをさらに乾燥させてわざと地割れとか出しました。つい最近フランスから取材にきたキュレーターの方は「枯れてる盆栽こそ本当のわび、さび感が!」って、フランス語でいろんなことを言ってくれましたね。もう人形をのっける以上に非難の対象になるのは必至でしょう。(笑)

―― フィギュアが乗ってるところがいいですよね。
これはね、近所の園芸市で買った盆栽に、燃えないゴミの日に捨ててあった鉢に、フィギュアがたしか450円かなんかです。マン盆栽は必ず木と鉢のバランスにフィギュアを入れて、最後にタイトルをつけるんです。そうすると、より締まるんです。まあ、今から20年前のマン盆栽の望まれざる登場で若い人が興味を持ったり、雑貨屋さんでミニ盆栽が流行るきっかけになったのはたしかだし、まぁ、よかったのではないかと思いますが。

餃子から入浴剤まで

―― さらに山元さんは「餃子王」ということで、完全会員制の餃子専門店をやってらっしゃるんですよね。ここがその「蔓餃苑」なんですか?
ここがそうなんです。

―― なぜ餃子だったんですか?
あるとき、お花見にカセットコンロを持って行って、そこで餃子を作って焼いたんです。すると、まわりのお客がけっこう高級なお酒を持って「餃子と代えてくれない?」って来たりする。で、知らないうちに、山元さんがお花見で焼く餃子はうまいっていう話が広まっていったんです。「じゃ、1000人集まったら餃子のお店でも開こう」とかいい加減な思いつきからです。事務所兼スタジオではなく、事務所兼厨房(笑)。でも、この店というか、年に数日しか開いてないんですよ。丸2年間全然開けないこともあったぐらいで。年中休業、臨時開苑なんです、本当に(笑)。

―― 入浴剤のソムリエともお聞きしましたが。
札幌生まれで冬は寒いから、お風呂に入るのが一つの儀式なんです。市販の入浴剤を全部買って、1年365日、365種類の入浴剤に入って、これは星何個、♨♨♨とかつけていったんです。それを角川書店から『お湯のグランプリ』っていう本にしたためて出したら、入浴剤ブームになっちゃいました。その本で、「こんな入浴剤に入るなら白湯に入った方がいい」と激しくけなした入浴剤があるんですよ。そうしたら、そのメーカーの人が会いに来た。

―― それは大変ですね。
てっきり会うなりぶん殴られるんじゃないかと思っていたんですが、「私たちの設備で、パラダイスさんがブレンドした理想の入浴剤を作らせてもらえませんか」って言われたんです。びっくりしたけど、たまたま市販の入浴剤をブレンドした超良い入浴剤ができていたので、「これと同じもの作れますか?」って言ったら、3カ月後にそれを上回るものを作ってくれた。それを3年ぐらいかけて石油由来の成分を排除、天然原料にこだわって医薬部外品の認可もとって販売に至りました。そうしたら、けっこう売れたんです。

―― 素晴らしい。
入浴剤って日本だけの文化なんです。中国にもないし、私がよく行く北欧なんか、あんなに寒いのにシャワーだけだったりとかね。やっぱり日本人に生まれたら、日本人として何かをし続けることが大事だなと思って、いまも入浴剤はブレンドし続けています。ひどいもんになっちゃったときなんか、家族が犠牲になってますけど(笑)。

日本でただ一人の公認サンタクロース

028_pho02.jpg ―― 1998年にグリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースに正式公認されたということですが、どうしてサンタクロースになったのですか。
あるとき、日本から選出する公認サンタ候補生のオーディションがあったんですが、合格者が出る直前になって、毎年自費で北欧へ行くという条件が出てきたら、みんな辞退しちゃったそうなんです。それで、スカンジナビア政府観光局の方がいろんなデブに声をかけ、たまたま私に話が回ってきた。それで私も、デンマークにタダで行けるならなんて思っちゃったんです。でも、毎年真夏にデンマークまでサンタの格好で行かなくちゃならないし、けっこう大変なんです。もう13年にもなりますから。

―― 公認サンタクロースになる喜びとは?
事情があって親と会えなかったりする子どもの施設や小児病棟などへ行くと心底喜ばれて、自分にしかできないことを見つけてしまってからは、だんだん自分がやることに対して前向きになってきました。ボランティア活動とか募金活動とかって胡散臭いなぁ ~と感じる体質だったはずなのに、みるみる変わってしまいました(苦笑)。

―― ぜひ、公認サンタクロースも続けてほしいと思います。今後のご予定としては。
公認サンタとしてはあちこち行くので、会ったら「ホッホッホー」と声をかけてくれたらと思います。11月にスウェーデンで行われた「サンタクロースウインターゲーム2010」では準優勝しました(笑)。あと、東京パノラママンボボーイズでは、今年もフジロックに出たところ、我々のことをまったく知らなかった若い人もマンボで踊りまくっていい盛り上がりになったので、メンバーと「死ぬまでマンボやるかあ」なんて言っています。自分のやりたかったことと時代がまったくリンクせずにきたんですが、マンボも然り。生きている間に、マンボの絶頂期、いや小山、丘くらいでいいですから、あったらいいもんですね。

―― ぜひマンボの魅力も、大勢の人に伝えていっていただきたいと思います。今日はありがとうございました。

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