PLAZA INTERVIEW

vol.025「いまだから残したい「和」の芝居」

大学在学中に文学座研究所に入所。以来、1991年の初舞台『好色一代男』にはじまって、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』『怪談牡丹灯籠』『女の一生』など、「日本の女」を主人公とした舞台に数多く出演し、日本舞踊、長唄等で培った「和」の演技に輝きを見せてきた石井麗子さん。「あまり意識したことはなかった」というが、祖父や祖母に芸事の関係者を多く持つという血筋を、見事に舞台で花開かせてきた形だ。その一方で、30歳でロンドンに演劇留学。ヨーロッパの舞台でも演技力を認められるとともに、生涯の伴侶にも出会って帰国。その後も、数多くの舞台やテレビドラマなどに出演するとともに、文学座の大先輩である杉村春子さんから教えられた「和物の芝居を伝えていく大切さ」を実感する。今回は、朗読劇『華岡青洲の妻』の舞台で石井麗子さんと共演した丸山ひでみ広報委員が、息の合ったやり取りで、「和」の芝居の素晴らしさ、奥深さを語り合った。
(2010年07月28日公開)

Profile

女優
石井麗子さん
石井麗子(いしいれいこ) 1968年東京生まれ。祖父に新派俳優の伊志井寛をもつなど、芸事関係の家柄に生まれる。フェリス女学院大学在学中の1989年に文学座研究所に入所。杉村春子・江守徹出演の『好色一代男』を初舞台に、『晩菊』『怪談牡丹燈籠』『ペンテコスト』『華々しき一族』『定年ゴジラ』など数々の舞台や、映画『午後の遺言状』、NHK大河ドラマ『太平記』など幅広いジャンルで活躍してきた。今年5月に上演された『華岡青洲の妻』では、青洲の妻・加恵を熱演。大好評を得て、9月には長野県上田市で再演されることとなった。

芸事関係の血筋を引いて

025_pho01.jpg ―― 舞台でもご一緒したのに知らなかったんですけど、芸事関係の血筋なんですよね。
そうなんです。父方の祖父・伊志井寛は新派の役者だったんですけど、その父親は噺家、母親は当時人気の娘義太夫でしたが、いろいろあって女手一つで子供たちを育て上げるために芸者の置屋さんをやっていたそう。お姉さんたちもみんな芸者さんだったらしくて、寛は芸者さんに囲まれて育ったみたいで、その後名古屋の芸者であるうちのおばあちゃんと出会って私の父が産まれることに...

―― そういう家系であることは、女優さんになるうえで影響がありましたか。
祖父は「初めての孫」である私の誕生に大興奮していたそうです。演舞場で舞台が終わった後、生まれたばかりの私を見に信濃町の病院へ毎晩来るのですが、そんな時間に新生児と面会ができるわけがありません。それでも看護婦さんたちに直筆のサインや絵を配って頼み込んでは内緒で覗きに来ていたそうです。嬉しかったのでしょうね。初節句にはお雛様の大きな絵を何枚も描いたりして...今でも額に入れて毎春飾っていますけど(笑)。そんな祖父でしたが、残念ながら私が3歳のときに同じ病院で亡くなりました。最後に面会に行った時のことはよく覚えています。たぶん私の中で一番最初の記憶かな?だから私自身は再放送のドラマでしか役者としての祖父を知りません。でもその後も色々な方が可愛がって下さって、子供のころ新派のお芝居を観に演舞場に行くと先代の水谷八重子さんや他の役者さん達が祖父の話をして下さいました。子供ながらにも楽屋の独特の空気や本番前の緊張感にドキドキしたことが印象に残っています。でも「女優になる」ということは大変なことだと思っていたから「やりたい」とは言いませんでしたね。

―― それで、大学までいったんですね。
高校生の時に漠然と演劇をやりたくなって、卒業したら劇団か演劇大学に入ろうか考えていた時、劇団「昴」の内田稔さんが両親とお友だちで、「芝居をやるなら広い世界を見た方がいいから、普通の大学に行きなさい」って言ってくれたんです。それで、女子大に入りました。なので、今でも応援してくれる友人たちは、みんなまったく演劇とは関係のない普通の人ばかりで、今になってみるとそれがどんなに私の世界を広げてくれるかを実感しています。

―― その後、大学時代に演劇を?
大学で英語の勉強していてもやはり演劇を勉強したいっていう気持ちがどんどん強くなってきて、大学3年のとき文学座の夜間部に受かり、横浜での授業の後、6時からの研究所に毎日通ったんです。「二足のわらじなんてダメだ」なんて言う人もいて大変なこともあったけど、芝居ができてすごく楽しかったです。すべてが初めての経験だったんで。

―― 文学座では、どんな作品に触れましたか。
日本の女性を描いている作品が、すごく好きだったんです。小説とか映画でも、明治、大正、昭和の女性の生き方になぜか胸が騒ぐんです。有吉佐和子先生の作品は、当時全部読んだりして。文学座に入ってそういうお芝居に触れることができて、本当に楽しかったですね。

―― そのあたりには、血筋の影響も?
あまり意識したことないんですけど、久保田万太郎のお芝居で元芸者の髪結いさんの役をやったんです。ちょっとの役だったんだけど、けっこう好評だったんですよ。母に話したら、「あなたの血の中に芸者さんが入ってるからよ」っていわれて、あっそうかって思いましたね。着物を着てお芝居すると、なんだかときめくの。

残したい「和物」の芝居

―― 和物の芝居は、絶対に残していきたいですよね。
研究所に入ってすぐ、まだ「杉村春子がどんなにすごい人か」を知る前に初舞台でご一緒しちゃって、その後一度だけ付き人をやらせていただいたときに色々なことを教えて頂いたの。杉村さんはその頃、自分の持ってるものを全部後輩に伝えなければという感じで、「着物の芝居っていうのはどんな時代でも必ず日本人の心をつかむ。だから、着物の芝居ができるようになりなさい」と言って、着物での美しい所作などをとても細かく教えて下さったんです。実際に、和物の芝居を見た若い子なんかが「なんか懐かしかった」なんて言ったりするんですけど、やっぱりDNAの中に何かがあるんじゃないかなぁ。

―― 残そうという気持ちを誰かが伝えないと、分からなくなってしまいますよね。
文学座のなかでも、和物の芝居が少なくなってきてますね。いまだったらまだ、杉村先生に直接教えていただいた方がいっぱいいるので、きちんと次に渡すということをやっていかないと。私も、そのひとかけらになってやっていけたらと思っています。

人生を変えたロンドン留学

025_pho02.jpg ―― でも、ずっと和物のお芝居だけをやってきたわけではないんですよね。
20歳の時に文学座に入ったんですけど、やってるうちに、自分が何をやりたいのか分からなくなってきちゃった時期があったんです。その時たまたま文化庁の留学制度に応募したらまぐれで受かっちゃって(笑)、「1年間日本を留守にするのはよくない」って心配してくれる方もありましたが思い切ってロンドンに留学したんです。そうしたらもう、楽しくって楽しくって...あっという間の一年間でした。初めての一人暮らしで、これもまた勉強になりましたしね。

―― 留学で何を見つけましたか。
演劇大学の大学院に入ったんですけど基本的にプロの経験がある人を対象にしたコースで、イギリス人だけでなくノルウェーやオーストラリア、スペインなどの俳優たちが集まっていました。私自身はこれまで文学座でやってきたこととか、習ってきた日本舞踊のことだとかを初めて客観的に見られるようになりましたね。ロンドンで1年間朝から晩まで芝居にどっぷりつかって、一時期なんかは1日に3本、午前、午後、夜...と違う芝居を違う仲間と作ったりしたけど全然大変じゃなかった。自分の内側からあれほど色々な発想やエネルギーが産まれてくるということは今までになかったんです。芝居作りも、自分が持ってた価値観や枠組みを一掃できて、何かポリシーをもってやれば何でも自由にできる時間だったんです。

―― 帰ってきてから、変わったでしょ。
なんでしょうか、楽になったんですよ。楽しめるようになったっていうか。やっぱり、長くやってるうちに自分のなかで、自分のだめなところばかり見て、どんどん小っちゃくなっちゃってたんですね。そういうのが、「関係ないじゃない」って思えるようになった。自分自身ではめてしまっていた身体中の「枷」が一気にポーンとはじけ飛んだ感じ。それに文学座は家族みたいなところなので、帰ってからも普通に暖かく迎えてくれたのが本当にありがたかったですね。

―― ロンドンでお芝居もかわったけど、人生も変えてきちゃったんじゃない。旦那さんも見つけてきたんですよね。
留学は30歳で、結婚したのはもっと後なんだけど、その時の同級生なんですよ。彼は向こうの演劇大学で先生もやってる人だったんで、しばらくはロンドンと東京を行ったり来たりしながら舞台を続けていました。ロンドンでの生活も楽しかったけど、こっちに有明教育芸術短期大学っていう大学ができて、そこで准教授としてヨーロッパの現代演劇を実践的に教えることになったので、こっちへきたんです。私もちょっとだけど、非常勤講師をしてるんですけど(笑)。

―― 教えられるっていうのはすごいですね。
学長先生に「文学座や杉村先生に教わったことを、いまの若い人たちに伝えてあげて」って言われて、気負いなくお受けしたんです。実際に舞台に立つ上で何が必要かってことは、私自身毎日実感してますから。ただ教える経験はまだ浅いので時間をかけて準備をします。文学座で最初のころに学んだことを勉強し直したり、ロンドンで受けたワークショップの記録や大学院で学んだ本を読み返していると、今になってやっと「あ、そういう意味だったのか」なんて理解できたりして(笑)...私も一緒に成長してます。

和の演劇に磨きをかけて

025_pho03.jpg ―― 麗子ちゃんはいつも「和物」という感じだから、ロンドンで演劇を勉強してきたっていうイメージがわかないんだけど(笑)。
私の同期には、シェークスピアとかギリシャ悲劇とかが多い人もいるけど、私はほとんど和物にしか出ないっていうイメージみたいですね。日本の現代劇は昨秋の『定年ゴジラ』がほとんど初めて。だから、ヨーロッパに行くこと自体文学座の中では驚きだったみたいです。でも、留学中にパフォーマンスをやった時、とても厳しい先生にある時ほめられたんです。「みんな見て、レイは体の使い方が他の人と違う。存在感がどっしりしてるから強いでしょ?」って。ヨーロッパのバレエなんかは身体を軽く軽くと中心が上へ行くけど、私の場合は重心が下に行くと。「足が短いから?」とか思ったけど(笑)、日本舞踊をやってたから、自然とそういう動きになっているんだろうと思うんですが、それをそんな風に言われると、うれしいじゃないですか。いままで培ってきたものが、そんな形で出てるんだなって。そういう発見がいっぱいありました。

―― 外側から見ないとわからないことって、いっぱいあるんですよね。
そうそう、文学座で教えてもらってたことって、こういうことだったんだとか、日本の戯曲とか演劇の良さっていうのもロンドンに行って初めてわかったし単純に日本語の持つ美しさとか日本人の心遣いの素晴らしさも実感しました。

―― これからやりたいことは、どんなことですか。
とりあえず『華岡青洲の妻』を舞台でちゃんとやりたいですね。この前ひでみさんと一緒に朗読劇をやって、つくづく思いました。ああいういいお芝居にどんどん挑戦していきたいと思いました。

―― 9月に長野県の上田で、また一緒に朗読劇『華岡青洲の妻』をやるんですよね。
はい、とっても楽しみですね。

―― また、よろしくお願いします。今日はありがとうございました。

朗読劇『華岡青洲の妻』上田公演
2010年9月26日(日) 12:30開演 16:00開演
会場:上田文化会館ホール

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