PLAZA INTERVIEW

vol.021「駆けずのお志麻」が女優で駆けた50年

出演した映画は約120本。スタジオ生放送だった『バス通り裏』の時代から出演してきたテレビドラマは数知れず。日本映画興隆の華やかなりし時代から、50年以上にわたって映画、テレビドラマ界をささえてきた女優の岩下志麻さん。 大らかで小事にこだわらず、のんびりとした性格でまわりからは「駆けずのお志麻」と呼ばれていたが、木下惠介、小津安二郎、野村芳太郎といった往年の名監督と出会い、「松竹ヌーヴェル・ヴァーグの一人」といわれた篠田正浩監督を夫にもつに至って演技魂に開眼。ブルーリボン賞、日本アカデミー賞など数々の映画賞の主演女優賞を獲得したほか、『極道の妻たち』シリーズで迫真の演技を見せるなど、女優としての仕事に見事な大輪の花を咲かせてきた。 今回は、CPRA広報委員でもあり、テレビドラマで岩下さんと共演したこともある女優の丸山ひでみ委員が、この道に入ったいきさつから演技への熱い思いまでを、存分にうかがった。
(2010年02月10日公開)

Profile

女優
岩下志麻さん
父親は俳優の野々村潔、母親は女優の山岸美代子、伯父に前進座の河原崎長十郎という家系に育つ。58年にNHKドラマ『バス通り裏』でテレビに、60年の『笛吹川』(木下惠介監督)で映画にデビュー。その後、松竹の看板女優として13年間在籍し、『秋刀魚の味』(62年)『五の椿』(64年・ブルーリボン主演女優賞)など数々の映画に出演。その後も、67年に結婚した篠田正浩監督の『心中天網島』(69年・毎日映画コンクール主演女優賞)『はなれ瞽女おりん』(77年・第1回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞)、さらには『極道の妻たち』シリーズ(86~98年)や数多くのテレビドラマなどで活躍。2004年紫綬褒章受章。著書に『鏡の向こう側に』(主婦と生活社、90年刊)。

「医者になろう」と思った高校時代

――よくある質問だと思いますが、女優さんになられたきっかけは。
17歳の高校2年生のとき、NHKの『バス通り裏』で、十朱幸代さんのお友達の高校生役を探していらしたんです。たまたま、プロデューサーが父の知り合いで。それで出させていただいたら、それを見た木下惠介監督からお誘いを受けて松竹に入社。何だか、いつの間にか女優をしていたという感じでした。

021_pho01.jpg ―― お芝居をやっていこうというお気持ちは?
全然なかったんですよ。女優には全然興味なかったし。

―― 何か違う職業につこうと。
お医者さんになりたかったんです。でも、勉強しすぎちゃって体こわして、高校2年のとき原因不明の病気で1年留年しちゃったんです。それで、一生懸命勉強してた自分が馬鹿らしくなっちゃって。そんなことで、父が気分転換にやらせてみようと思ったのかもしれないです、落ち込んでたから。ですから、大学行きながらのアルバイトぐらいの軽い気持ちで、松竹にも入ったんです。

―― でも、その後はずっと女優を続けてらっしゃいますよね。
そうなんです。あの無欲な私が、よくここまでこられたなあって思います(笑)。松竹に入って5年ぐらいして、野村芳太郎監督の『五瓣の椿』っていう作品にめぐり会ったんです。珍しくリハーサルが2ヶ月もあり、本読みをすごくじっくりやって、ひとつのセリフを「楽しく言ってみてください」「泣きながら言ってみてください」「怒りながら言ってみてください」「ちょっと笑いながら言ってみてください」とかって、いろんな注文を監督に出されたんです。それで役を作る楽しさとか苦しさとか、面白さが初めて判ったんです。

―― それは大変ですね。
私は、「ええっ? ひとつのセリフでもこんなに言い方があって、こんなに意味が違ってくるんだ」って初めて知って、役をつくるっていうのは大変だけど、楽しいんじゃないかなって思いはじめた、発見したんです。自分なりに。それで、24歳の時初めて、女優をやっていこうっていう自覚みたいなものができたんです。

女優として「節目」になった作品は

―― そうなんですか。出演された映画で、印象に残っている映画にはどのようなものがありますか。
映画はたぶん、全部で120本弱出させていただいていると思うんですけど、『秋刀魚の味』は小津安二郎先生の最後の作品で、すごく印象に残ってますね。

―― 去年の日本映画俳優協会「主演者とともに懐かしの名画鑑賞会」で上映され、岩下さんと石濱朗さんのトークショーがすごく楽しかったです。
石濱さんがね、すごく話の引き出しがうまいから。私は人前で話すトークショーとかすごく苦手で嫌いなんです。女優なんてむいてないんじゃないかと思うくらい(笑)。でも、石濱さんとは共演したこともあって親しみもあるし、あのときは話しやすかったです。

―― ほかに印象に残っている作品はありますか。
川端康成先生の『古都』ですね。双子の役で二役やりました。それと『五の椿』。そのあとは、近松門左衛門の『心中天網島』。篠田の作品です。それと『智恵子抄』、『雪国』、そして『影の車』かな。自分自身で一番好きな作品は、水上勉先生原作の『はなれ瞽女おりん』です。そのあと40代になって、やはり近松の『鑓の権三』、それと清張先生の『疑惑』が印象に残っている作品です。

――『秋刀魚の味』では、本当に清純なお嬢様という感じでしたね。
まだ22歳ぐらいでしたからね(笑)。

――数多くの作品で、いろいろな役を演じてこれらたんですよね。
松竹では清純派で始まって、『影の車』とか『心中天網島』で情念の女を演じて、文芸作品がいくつかあって、それで『極道の妻たち』なんですよ。あそこで、役柄がものすごく転換しちゃったんですね。

021_pho02.jpg ――演じ分けるコツみたいなものはあるんですか。
コツはないですね。ただセリフを一生懸命読みこんで、何度も繰り返しているうちに自分がその人物にだんだん近づいていくっていうことしかないです。あとは、たとえば『疑惑』なんかで弁護士の役をやるときは、弁護士事務所に行ったり、家庭裁判所に何日か通うとか。私の場合は、そうやって外側から役作りをしていくほうなんですね。

「女優と監督」がいる家庭とは?

―― そういうなかで、26歳で篠田正浩監督とご結婚されたんですね。
「清純派が結婚してどうするんだ」っていう反対を押し切って結婚したんです。それで、松竹にいながら二人で「表現社」っていう独立プロをつくって、『心中天網島』でいろんな賞をいただいたんです。すごく仕事をやる気の旦那様と一緒になったんで、一緒に仕事に燃えて(笑)。いままでのんびりしてて「駆けずのお志麻」と言われてたのが、駆けてしまって(笑)。それから、どんどん意欲が出てった感じがしますね。

―― 監督と女優さんが家の中にいるわけですが、岩下さんがほかの監督さんの映画に出ているときなど、ご主人様は何かおっしゃるんですか。
なんにも言わないです。ノータッチ。作品をみない時もありましたね(笑)。あのころは篠田の映画は殆ど私の主演でしたから、自分の中の岩下志麻のイメージを壊したくないっていう気持ちがあったんでしょうか。

―― ご一緒の作品をやっているときは?
独立プロだから、地方へ行ってスタッフも合宿しながらっていう作品が多かったでしょ。『はなれ瞽女おりん』なんて、7か所ぐらいロケでまわりましたよ。撮影中は監督と私は部屋も全然離れてるし、プライベートな話はほとんどないですね。「このシーンはこんな風に演じて欲しい」とかの説明も、すべて皆さんと一緒に現場で聞きました。自宅にいるときでも私が部屋でセリフを覚えてると、彼は入ってきても邪魔したなと思って黙って出ていくし、彼がコンテを書いてるような時は、私は近寄らないし。お互いの分野はものすごく尊重してやってました。

原作を読んで自分で企画をたて

―― 私、中学生のころ岩下さんの『智恵子抄』を深夜放送のテレビで見て、女優になりたいと思ったんです。 そうですかあ。私の26歳ごろの映画ですね。『智恵子抄』は私にとってもすごく思い出深い映画です。『智恵子抄』とか『雪国』なんかは、自分で「ぜひこれをやりたい」って思って企画を出して、松竹の幹部の方に認めていただいてできた作品なんです。

021_pho03.jpg ―― そうなんですか。すごい!
その後のテレビドラマなんかは、自分で本読んで企画を出したものが多いですね。外国のミステリーなど、ずいぶんあります。映画で企画して通ったのは、『魔の刻』っていう母子相姦の話。自分で原作読んで、作家先生にすぐ「ぜひ私にやらせていただきたい」ってお手紙書いて、プロデューサーにコンタクトとって。時間がかかりましたけど実現しました。テレビは、40代になってからの2時間ドラマとか、自分で出した企画はかなり多いですよ。

―― 原作を読んで、映画やドラマにしたいと思われるんですか。
まず新聞広告で本の題名を見て、私がやれそうな役の本をピックアップして。それで本を買って読んで、モノになりそうなものを選んでいくんです。もちろん、昔の本も読んで探しますけど。

―― ええっ! じゃあ、最初からご自分が役になることを想定して原作を読まれるんですか。
そうなんです。

―― すごいですね。テレビと映画では、どちらがお好きとかはありますか。
それはないですね。むしろ、役ですね。やっぱり、気持ちがグッと入っていける、のめり込めるような役が好きですね。

―― これだけたくさんの作品に出てこられたわけですけど、今後さらに、「こういうものをやりたい」というような思いはありますか。
いま、映画の企画をひとつ出しているんです。介護士さんが若い男性を介護しているうちに、すごいプラトニックなラブにおちいっていくお話。あまりに強いプラトニックラブであるがゆえに、精神的におかしくなっていっちゃうんですよ。それをやりたくて、ずっと出してるんです。なかなか進行しないんですけどね (笑)。映画はむずかしいですから。

021_pho04.jpg ―― そうですか。岩下さん主演のその映画を、拝見できるときを楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。
(インタビュー当日はお父様である野々村潔氏の命日でした。...インタビュー後お父様が平成13年度芸団協芸能功労者賞を受賞されたことをとてもお喜びだったとお話してくださいました。)

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