「自虐ギャグ」のルーツは
―― ヒロシさんといえば、舞台の中央で音楽をバックに自虐的なギャグをポツリとつぶやいて爆笑をとることで有名ですが、こうしたスタイルはどのようにして生ま れたのですか。 僕はもともと漫才にあこがれてこの世界に入ったので、まさかこんなことをやるとは自分でも思わなかったんです。相方がやめて一人でお笑いやるとなったとき、なんか音楽かけたら面白いかなって思って、CDを借りにいって目についた音楽を使っただけなんです。
―― 近著の『沈黙の轍~ずんだれ少年と恋心』はご自身の幼少時代の自虐的エピソードを集めたものですが、こうした体験はギャグをつくる基盤になっているのですか。 ダイレクトになっています。あの当時の経験をネタにしていることが多いですね。
―― そもそも、お笑い芸人になりたいと思ったきっかけは? いちばん最初は、小学校2年生で転校したとき。いじめられてたんでなんとかしたいなって思って、クラスであった「お楽しみ会」っていう誕生会に「8時だよ 全員集合!」のなかのヒゲダンスを真似したんです。そうしたら思いのほかウケたんで、「お笑い」という方向に頭が向いたのが最初ですね。人前に立つのは好きじゃなかったんですけど、なんか目立ちたいっていうのはありましたね。
いちばん好きな音楽は「パンクロック」
―― ネタを演じるときのバックミュージックは「ガラスの部屋」。やはりあの音楽が流れると、ヒロシさんもぐっとしまるというか......。 そうですね。でも、最初は全然知らなかったんです。たまたまレンタルCD屋で手に取ったCDに入ってたという偶然なんです。これをかけながらやったら、しっくりきたんで選んだだけなんです。ただ、いまはもうずっとネタで使っていてこの曲のおかげみたいなところもあるので、思い入れはありますけどね。
―― テレビ朝日『笑いの金メダル』という番組の「出張ヒロシ」というコーナーでイタリアへいき、「ガラスの部屋」を歌うペピーノ・ガリアルディに会いにいったそうですね。 世界的に有名な曲だったんですよね。僕は知らなかったんです。しかも、行く前に「北島三郎さん的な人です」って聞かされていたんで、ちょっと恐ろしいなあって思って緊張していたんです。でも、会ってみたら全然違うんですよ。すごくテンション高くて、うるさいぐらいよくしゃべる人だったんです。
―― 食事なんかも一緒にしたんですか。 ええ。「ガラスの部屋」の生演奏もやってくれました。すっごくぜいたくなことなんでしょうけど、僕クタクタに疲れていたもんで、それどころじゃなかったんです(笑)。でも、考えたらすごいことだなって思いますよね。
―― 音楽に関しては、『ヒロシが選ぶ哀愁のヨーロッパミュージック』というCDも出されていますけど、好きな音楽のジャンルは? 意外かもしれないですけど、僕はパンクロックが好きなんです。ネタでこの曲を使うようになって、初めて映画音楽などの音楽を聴くようになったんです。そこからは、いろいろ興味がわきましたけど。
―― パンクロックはいいですねえ。よく、パンクっていうとちょっと不良のイメージで勘違いされるんですけど、実は歌詞で自分の生き様をすごく映し出す音楽なんですよね。 そうですよね。そういうのにグッときますね。いちばん、歌詞が熱い歌だと思うんです。
―― 「いつもここから」の山田一成さん、「18KIN」の今泉稔さん、世界のうめざわさんと「ハートせつなく」というバンドを組んでいるそうですね。 僕がホストクラブで働いていた6、7年前、山田さんにやらないかと誘われたんです。山田さんもパンクが好きで。なかなかパンクが好きな人っていないもんでね。
―― ヒロシさんはボーカル? 僕はベースです。ぽいでしょ?(笑) 僕が昔ベースやってたっていうのを山田さんがどこかで聞いて、バンドやりたくて声をかけてくれたんだと思います。 「どれぐらい弾けるの?」って聞かれたんですけど、僕、まったく弾けないんですよ。昔、モテたいがためにやってただけなので(笑)。
―― ミュージシャンの発想ってそうですよ。モテたいがために音楽をやったような。 それをきっかけに練習して、みんなうまくなるんですよね。でも、僕は全然練習してないんでへたくそなんです。
―― いや、音楽はやはり字のとおりで、音を楽しまないと。 そうですよね。パンクっていうジャンルは、それで許されるところが僕は好きなんです。ただ、みんなもう30歳オーバーですから、体力的には大変です。ハアハアいってますよ。
―― いまでもよく集まって? 週1回ぐらいではやってます。集まると楽しいですよね。休憩でみんなグチ大会です。なんで俺は売れねえんだろうかみたいな話になって、気づいたら朝になってたとか(笑)。練習よりも、そういう話で盛り上がってます。