PLAZA INTERVIEW

vol.011「世界のクラシックシーンで活躍」

一昨年来、クラシック音楽に関して最もテレビをにぎわした話題といえば「のだめカンタービレ」。お陰でクラシックの演奏会の入りが随分よくなったと聞く。その主役は「のだめ」こと野田恵だが、もう一人の主役はピアノ、ヴァイオリンの名手にして、指揮者を目指している千秋真一先輩。ドラマの役柄だから実際の指揮者の姿とは違うのだが、玉木宏が演じている千秋は実にかっこいい。つまり、指揮者の仕事の中のかっこいい部分がデフォルメされているといっていいだろう。だが、玉木宏は当然指揮者ではなく、指揮の勉強をしたわけでもない。かっこよく役柄を演じるためには指南役がいる。その指南役が今回インタビューする飯森範親さんだ。飯森さんもまたかっこいい指揮者だ。そのかっこよさは演じるためのかっこよさではなくて、音楽を表現するために磨き上げられた充実しきった内面から醸し出されるかっこよさだ。世界中のオーケストラから招かれて指揮をしているというキャリアがそれを証明している。テレビ映りも格別だ。毎年お正月に放映されるNHKの「ニューイヤーオペラコンサート」の指揮を2年連続で務めたので、テレビの画面に大きく映し出された彼の指揮する姿をご覧になった方も大勢いるのではないかと思う。世界のクラシックシーンで活躍する飯森範親さんに、音楽との出会いからあまり知られていない「指揮者の裏側」までを、社団法人日本演奏連盟事務局長でCPRA広報委員の菊地一男委員が伺った。
(2008年03月18日公開)

Profile

指揮者 飯森範親さん
1963年神奈川県生まれ。神奈川県立追浜高校から桐朋学園大学指揮科に進み、卒業後、ベルリン、ミュンヘンに留学。バイエルン国立歌劇場でW・サヴァリッシュ氏のもと研鑽を積む。94年には東京交響楽団の指揮者に就任、国内外の公演で高い評価を得る。01年よりドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽総監督(現 首席客演指揮者)に就任し、06年には同楽団の日本ツアーを成功に導くとともに「ベートーヴェン交響曲全曲」CDをリリース。04年から東京交響楽団正指揮者に就任。05年には渡邉暁雄音楽基金音楽賞受賞。また、ヤナーチェク:歌劇「マクロプロスの秘事」の演奏が評価され、07年芸術選奨文部科学大臣新人賞、中島健蔵音楽賞を受賞した。東京交響楽団正指揮者、山形交響楽団音楽監督、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者。
公式ホームページ

祖父の代からの音楽環境に育って

―― 飯森さんは音楽高校ではなくて普通高校に行かれたんですね。それも、進学校のようですが。 はい。たぶん、指揮者というのは棒を振るだけではなくて、人と人とのコミュニケーションだとか、音楽の時代背景や歴史も知らなくてはいけないだろうから、普通高校で勉強してからでも遅くないんじゃないかなって思ったんです。

011_pho01.jpg ―― そもそも、音楽の道へ進むきっかけはどういうことだったのですか。 父方の祖父が京都大学時代に朝比奈隆先生と一緒にカルテットを組んで、アマチュアで演奏をしていたんです。朝比奈先生がバイオリンで、祖父はチェロ。その辺から自然とクラシックの環境が生まれたんでしょうね。まず4歳のときからピアノを習わせてくれました。それと、親戚にいずみたくがいて、父と仲が良かったんです。で、父も音楽が好きでかなり詳しかったんですよ。父からクラシックのレコードを聞かされるのと、祖父が枕もとでチェロを弾くという環境で育ったんです。ただ、祖父も父も逆に音楽家の事情を知っていたんで、僕が音楽家になりたいと言ったときには大反対されました。母だけは、好きなことはやらせてあげたらと言ってくれて。

―― 高校時代にはもう指揮者になろうと? 思ってました。高慢にも、僕が指揮者にならなかったら誰がなるんだなんて思ってましたから(笑)。ですけど、ほとんど寝る暇もないぐらいピアノの練習をして、進学校だったんで勉強もそれなりにしましたね。それで運よく現役で桐朋学園に入れたんですが、僕の学年はピアノの仲道郁代さんを筆頭に、優秀な人が大勢いたんです。その中で、僕はやたらに焦って、どうやって勉強していいかわからなくなってしまったんですね。尾高先生のレッスンに行っても、レッスンにならなかったことが何度も。でもスコアだけは信じられる。とにかくスコアを覚えようと思いました。それで、僕は大学時代に200曲暗譜しました。

―― それはすごい。 それでも小澤征爾先生にはコテンパンにやられ、尾高先生にも厳しいことを言われ続けたんですが、「のだめカンタービレ」じゃないですけど、僕にとっての「シュトレーゼマン」がいたんです。それはジャン・フルネ先生(註.フランスの世界的な指揮者)です。大学3年のときにフランス音楽のレッスンを何度か受ける機会があって、そのときジャン・フルネ先生が僕に対して励ましの言葉をくださったんですね。その言葉がなかったら、いまの自分はないですね。

―― 見る人は見ていたということですね。 その後、大学4年のときに東京国際音楽コンクール<指揮>(旧 民音指揮者コンクール)で入賞して、大阪フィル、九州交響楽団、札幌交響楽団、当時の新星日響、名古屋フィルハーモニーの5つのオーケストラをご褒美コンサートで振らしていただける機会はあったのですが、そのあとは全く仕事がこなかったので、「これは留学しろってことだな」ってポジティブに考え、コンクールで留学助成金も頂戴しましたから、小澤先生に推薦状を書いて頂き、ベルリンに留学させていただいたんです。

1本の電話がきっかけで

―― 最初に仕事として指揮棒を振ったのは? 当時、「日本音楽集団」という和楽器のオーケストラでも演奏されていた、現代琴の第一人者、吉村七重さんが、僕がまだ大学4年で名古屋フィルの入賞記念コンサートをやらせて頂いたときに、ホテルに電話をくださったんです。「『音楽の友』で拝見したんですけど、音楽集団の定期演奏会で指揮していただけないでしょうか」って。唯一いただいた仕事で、すごくうれしかったですね。

―― ふつうのクラシックのコンサートとは違いますね。 知らない曲ばかりで必死に勉強してやらしていただいて、そのあと何度も定期演奏会に呼んでいただけるようになったんです。その後、三木稔先生の「春秋の譜」という作品などをベルギーに持って行きたいという話をいただき、さらにそれがきっかけで、岡山シンフォニーホールで三木先生のオペラ「ワカヒメ」の初演の指揮を、ミュンヘンの留学から帰った1992年にやらせていただいたりと広がっていきました。

011_pho02.jpg ―― 帰国されてからはさらに広がって。 初演の際の大阪フィルでの演奏が大好評で、NHKホールの開館20周年記念で東京上演させていただき、その時は東京交響楽団が演奏。すると、東響が創立50周年にむけて指揮者を探してる時期で、東響の皆さんも僕のことを気に入ってくださったようで専属指揮者にさせていただいたわけです。それがなければドイツのマネージャーの話もなかっただろうし、ヴュルテンベルク・フィルハーモニーの音楽総監督の話もなかったと思うんです。もしかしたら、吉村七重さんの一本の電話がなかったら、今の自分はなかったかもしれませんね。

「指揮者」という仕事は

011_pho03.jpg ―― 指揮者は、ふだんどういう練習をしてるんですか。 とにかく楽譜を丹念に読むことですね。たとえば、8分の5拍子というのがあれば、それを2と3にわけるか3と2にわけるか。1、2、1、2、3でいくのか、1、2、3、1、2でいくのかで、曲の感じが全然違ってしまいます。勿論、そういうことはスコアリーディングのほんの一部のことですが、スコアを読みながら手を動かしたり、どういう振り方が音楽的に良いのか考えているんです。オーケストラのテンポ感、音色感、そして音の強さやバランスなどを頭のなかでイメージすることが「覚える」ということなんです。頭の中でイメージをつくっていくわけですね。

―― オーケストラの前に立ってすることは... たとえば、手を振るにもやわらかく振るか、サッと振って硬く感じさせるか。オーケストラが硬いと思えばやわらかく振ってみたり、そのとき出てる音で違ってきます。指揮者は実際の音を聞きながら、自分の中で描いている音楽をどんどん進めていかなければならないから、出てる音よりも常に先を振っているんです。

―― そこが素人と違うんですね。素人でもCDに合わせて指揮棒を振って、陶酔している人って結構いるんじゃないかと思うんですが、そういう人が本当のオーケストラを振ると大抵遅くなってしまって終いには止まってしまったりしますね。それは、出ている音を聞いてそれに合わせているだけで先を示していないからですね。指揮者はまさに、その曲をイメージして自分の中に造り上げ、それを大勢の楽員に伝えて造形していくわけですね。言ってみれば、そのために指揮者が必要なんですね。 音楽は言葉と同じです。楽器を演奏される方は音楽を言葉として表現できますが、指揮者は音を出せないので、言葉を発してもらうためにゼスチャーをする。それを見て楽団員がそれぞれイメージして音楽という言葉を発する。指揮者はゼスチャーで音楽の言葉をしゃべらせているんです。特殊な職業ですよね。

多彩な才能を発揮して

011_pho04.jpg―― 最近は人気者になって、テレビに出る機会も多いですね。NHKのイヤーイヤーオペラコンサートも2年続けてやられたし、「食菜浪漫」など、料理番組にも出演されていますよね。料理はご自分でも? けっこうやりますね。昨年とか一昨年は僕の人生において一番忙しい年で、精神的にも肉体的にも大変な中で、唯一息抜きができるのが料理だったかなって思っています。母が料理やケーキ教室の先生をしていたので、僕もその手伝いを見様見真似でやってて、自然と身についたんでしょうね。勿論、食べるのも大好きですから(笑)。

―― お話を伺っていても、とにかく大変忙しく活躍されていますね。 僕たち指揮者は休日だって練習してるし、スコアも覚えなければいけない。休みなんてないんですよね。そのへんは理解していただきたいですね。あと、僕たちが演奏したものに対しては、やはり権利の正当な評価をして、公平に与えていただきたいですね。それを受ける権利があるんじゃないかなって思いますね。

―― 正当な評価を受けることが次の創造の土台になったり、表現意欲につながっていくものですからね。 そういうことです。なければ、やはり夢が膨らまなくなってしまいますからね。

―― 今年は少し仕事を減らされたということですが、このあともドルトムントやプラハに行かれたり、国内でも3月29日には「すみだトリフォニーホール」で開かれる地方都市オーケストラフェスティバルで山形交響楽団の指揮をするなど、演奏会が目白押しですね。5月1日には、日本演奏連盟のスペシャル・ガラ・コンサートでもお世話になりますが、どうぞよろしくお願いします。今日は楽しいお話をありがとうございました。

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