PLAZA INTERVIEW

vol.006「フォークソング界をリードし「歌う行商人」の境地へ」

高校時代に音楽を始めて以来、すでに半世紀近くにわたって活動を続けてこられた小室等さん。1960年代から70年代にかけてのフォークソング全盛期に、日本のシンガーソングライターの草分け的存在として音楽シーンを牽引してきた姿はいまも記憶に新しい。その後も、「雨が空から降れば」や「出発の歌」などのヒット曲をリリースするとともに、グループやソロとして歌い続け、谷川俊太郎といった詩人など他分野の芸術家とのコラボレーションや、テレビドラマや映画音楽も手がけるなど多彩に活動を展開している。音楽に対する深い洞察から生まれてくる、その独特の芸術観、音楽観。幅広い分野の人びととの交流のなかから培われてきた、奥の深い人生観。そして、みずからを「歌う行商人」と称し、全国通々浦々にまで音楽を届けようとする精力的な音楽活動にいたるまでの様々なお話を、CPRA広報委員の松武秀樹委員がうかがった。
(2006年10月17日公開)

Profile

アーティスト
小室等さん
1943年東京生まれ。多摩美術大学彫刻科卒業。高校時代「キングストントリオ」の歌に感銘して音楽を始め、61年に「ジ・アローズ・フォー・ジミー」を結成。その後、フォークグループ「PPMフォロワーズ」「六文銭」をへてソロ活動。72年、第2回世界歌謡祭にて「出発の歌」(上條恒彦と六文銭)でグランプリを獲得。これまで、谷川俊太郎ら多くの詩人、アーティストと組んだ音楽活動をするとともに、ドラマ、映画、演劇へ音楽を提供するなど幅広く活動を続けている。

「フォーク」以前からギターに憧れて

―― 小室さんといえばかなり数々の「ギター」を収集されていると思いますが、まずギターへのこだわりをお聞かせいただけませんか。
僕は日本に「フォーク」が入ってくる前に、キングストントリオに飛びついてコピーを始めたんです。まだギターも弾けずに。あとでギターを始めたときに、「こういう音楽はフォークソングと呼ばれているらしい」と知るんです。だから、根っからのギター小僧じゃないんですが、キングストントリオがジャケットでマーチンを抱えてたりすると、やっぱりほしかったですね。しかし、そんなものは買えもしない。でも、やがて神田のカワセ楽器というところでマーチンのコピーの「マスター」というギターをつくってると知って、だいぶたってからそれを手に入れるんです。

―― お目当てのマーチンを手に入れるのは...。
ずっと後になってですね。PPMのコピーもして、大学を卒業してしばらくたってからですよ。スタジオの仕事なんかをしたり、富田勲さんが仕事を下さったりして、ようやっとマーチンのギターが買えたんです。

006_pho01.jpg―― やはり当時はマーチンでしたか。
ええ。他にもギブソン、ギルド、フェンダーなんかもありましたが、アコースティックのギターへの憧れはマーチンでした。迷信もありましたしね。いまになってはもうそれほど楽器へのこだわりなく、「弾きやすいのが一番」みたいなところもありますし、大きいのはもういらないという感じもあります。まして、コレクター的な感覚は全然ないです。でも、小ぶりのギブソンのギターでちょっといい音するのはほしいかなって思います。

―― いまはどんなギターを愛用されているんですか?
いまはもう、そんなに音を出しませんからねえ。ときには空振りもするぐらいで(笑)。いまは、「夢弦堂」という西貝清さんという方が造っているギターで、僕用に造ってくれたのがとってもいいんでいちばん愛用していますね。彼が最初から、僕に弾かせようと思って造ってくれたものなので。

―― 小室さんがギターを買おうとするとき、チェックするのは弾きやすさとか体にフィットする感覚などですか。
すべてですけど、僕にとっていまいちばんは弾きやすさですね。どんなにいい音でも弾きやすくないとまずだめです。でも、弾きやすければいい音じゃなくてもいいかというと、そうはいかないんですよね(笑)。

現代音楽家・武満徹さんとの接点は

―― 武満徹さんと親しくされていたようですが、どのようなことから出会われたのですか。
最初は60年代後半です。僕が一方的に武満さんの音楽の存在を知って、なんかこの音楽をずっと注視していないといけないなっていう感じがあったんです。ひとつには、僕は多摩美だったのでいろんなアートの情報が入ってくるのでね。とくに、当時はニューヨークからの情報ですよね。

006_pho02.jpg―― 現代アートですね。
そうですね。そういうこともあって、常に、武満さんの関わってる現代音楽の「オーケストラルスペース」なんかのコンサートを聴きにいったりしていたんです。そんなあるとき、ジャンジャンでの僕のライブを武満さんがたまたま聴いてくださって、そのことを読売新聞のコラムに書いてくださったんです。で、「武満さんは俺のことを知らないわけじゃない」とただそれだけを手がかりに、当時僕がやってた音楽夜話や週刊FMでの対談の連載なんかに武満さんにご出演をお願いしたら、二つ返事で引き受けてくださったんです。それから、武満さんの関わっているコンサートに行くと、終わったあとでのみに誘ってくださったりするようになったんです。

―― やさしい方だったんですね。
ええ、とっつきにくいように思われますが、とってもやさしい方でした。僕はフォーク小僧ですけど、その後、自分が音楽の現場に居残って仕事をするうえで、武満徹さんと渡辺貞夫さんのお2人の音楽は僕にとってとても重要でした。自分の音楽の先を常に、武満さんが照らしてくれていたりしたのは大きかったですね。

―― ということは、小室さんの作品のなかにやはりインスパイヤーされて、何かが...。
具体的には出てこないんです。僕自身は大衆音楽で、現代音楽的なことをやるつもりも僕はないですから。それでも、上質の大衆音楽をやっていくうえで、武満さんが音楽について考えられているようなことが、とっても重要な示唆を与えてくれたりしたんですね。

音楽を正しく聴いてもらう思い

006_pho03.jpg―― 最近、いろいろな形のデジタル化やパソコンの普及などで、著作権や著作隣接権からみて音楽などが常識のない使われ方をされてしまうことも多くなっています。不正アップロードやダウンロードもそうですが、こういう現状をどのようにお考えになりますか。
武満徹さんは映画が大好きで、映画音楽もたくさんつくられているんです。で、とくにアジアなどではまだ著作権などがそれほど確立されていなかったころ、ある日武満さんが香港製のカンフー映画を観たんですね。「観てるうちに、この映画音楽がなんか聴いたことあるなあと思ったら、僕の作品なんだよな」っていうんですよ。

―― 勝手に使われちゃってたんですね。
「でもこれがさ、妙にあってるんだよ。映画と」といって笑っていました(笑)。そのことに対して武満さんは、著作権的な見地から怒ってはいらっしゃらなかったですよ。笑っちゃうぐらいにかわいらしい出来事だと思うんです。ただ、ビッグなセールスが成り立つはずのものが阻害されたり、造った人に許可なく大量にバラまかれたりすれば問題ですよね。ひとつの問題は、技術の進歩に対して法律が全然追いついていってないという現実ですね。

―― まさにそのとおりなんです。
早い対応をとる必要が当然あるし、世界レベルでのコンセンサスのようなものもとらなければいけないと思います。と同時に僕が思うのは、ヒット曲の形が変わってきたということです。昔なら「知らない人まで知っている」のがヒット曲だったけど、いまは「知っている人しか知らない」のに何百万枚もアルバムが売れたりする。ひとつの音楽の必要とされかた、扱われ方がかわってきたでしょ。たとえば、終戦直後の食べるものがない時代に、「りんごの唄」がどれだけ人の心を慰めたか。ひとつの唄がみんなを暖かくし、みんなに愛された。ところが、ここまで豊かになってきたいま、人びとが必要としていた音楽はどこへいっちゃったのかなと思うんです。

―― 私たちが実演家の立場からいいたいのは、僕らが一生懸命つくった音楽を、そんなに簡単にコピーしないでくれよ。聴きたかったら、ちゃんとした方法で買って聴いてくれよっていうことなんです。
印刷物でもそうだけど、「海賊版」というような問題は宿命的にありますよね。

―― はい。レコードそのものも、本来はライブでやる音楽をコピーして残しているわけですから。しかし、最近またライブの価値が見直されて、聴く人が増えているように思えます。
そこだと思うんですよ。音楽を誰がどう求めているのかということなんだと思うんです。坂田明さんが「ひまわり」っていうアルバムを出されて、これがいまかなり売れてるんです。昨日いっしょにライブをやって聴いたんですけど、アルバムの演奏もそれなりにいいんだけど、やっぱり生だと違うのね。やっぱりライブはいいんですよ。どーしてもいいんですよ。とくに、いいライブができたときは、それに勝るものはないんですよ。

―― そうなんですよね。
つまり、音楽っていうのはそういうもんだと思うんです。かつては情報入手がそんなに簡単じゃなかったから、みんな苦労して自分の好きな音楽にたどりついた。ところがいまは、下手すると最初の数小節だけ聴いて「あ、これね」なんて簡単に飛ばしちゃうけど、じっくり聴いたら本当はすばらしいところを逃してちゃってる可能性もありますよね。ライブ音楽も含めて、そういう音楽の獲得のしかたを僕たちがどれだけ手放さずにいられかっていうところに、音楽に対する倫理観のようなものがおのずと生まれてくるんではないかと思いますね。

「歌う行商人」今後の方向性は

006_pho04.jpg―― 最後に、小室さんの持論でいらっしゃる「歌う行商人」の哲学論。今後はどのような方向へいかれるとお考えですか。
たいそうなことはないんですけど、自負心としては、僕はどんなにがんばってもボブ・ディランにはなれないけれど、聞き手は少なくても、ボブ・ディランは俺にはなれないというようなパフォーマンスをしたいと思うんですよ。じゃあ、何をするか。いま考えているのは、とくに太平洋戦争のちょっと前の1920、30年代からいまにいたる、簡単にいうとアメリカンポップスによって牛耳られてきた音楽というもののなかに僕らはいると思うんですよ。僕はもう一度そのアメリカンミュージックっていうのを、自分の中を通すことでリセットして、僕流に実体験から出てくるものがあったら面白いなと思ってるんです。それをまた、手売りで売り歩くことをしたい思います。

―― 素晴らしい。楽しみにしています。今日はお忙しいところ、ありがとうございました。

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