まずは。自己紹介から?
松武
きょうは、よろしくおねがいします。 芸団協・CPRAの運営委員として、また日本シンセサイザー・プログラマー協会会長としてだけでなく、ひとりのミュージシャンとして、デジタルメディアについて、あるいはデジタル時代の音楽について、著作も多数お書きになっている津田さんにご無理を言ってお時間をいただきました。
後半はお酒でも呑みながら、デジタル時代の音楽、ひいてはデジタル時代のアーティストの向かうべき方向性について、硬軟まじえながらお話しできればと思っています。
津田さんには、デジタル時代のユーザビリティと音楽、アーティストの有りようについて、アドバイスやお感じになるところをお聞きできたらと思っております。
津田
よろしくお願いします。 僕も、YMO世代ですので、きょうは非常に楽しみにしてきました。第一線のアーティストのお考えになっていることを紙面には載らないのかもしれませんが、インタビューできたらと思います。
松武
僕はプログラマーという職業なんですけど、はじめたばかりの頃、プログラマーって演奏家なんだろうか?スタジオ・ミュージシャンなんだろうか?なんなのだろうか?音楽を創っているということは間違いないんですけれども、実演家の定義ということもあるんですけど、悩みまして、弁護士さんとか相談に行ったこともあるわけです。そうしたら、いわく「世の中の役に立つことをしなきゃダメだ」と、これまた抽象的なアドバイスをもらいまして。(笑)
まあ、そうこうしているうちに、昭和56年頃に貸レコードの分配が始まることになりまして、その当時は著作権はわかっているけれども、正直な話、著作隣接権はなんとなく聞いたことがあるという程度のものでした。具体的にどんな権利があるのかということは、ほとんど分からなかったわけです。
津田
なるほど。その当時は、プログラマーの人数も少なかったでしょうしね。
松武
そうなんです。それであるとき、スタジオ・ミュージシャンのなかでも比較的よく勉強している人間がおりまして、これは組織を作って、芸団協という団体があるらしいから、そこに加盟した方が良いようだということになったわけです。
津田さんとは初めてお会いするので、とりあえず私の歴史というか、立ち位置を説明させていただいているわけですが、しばらくご存知のことばかり話させていただくかと思いますがご容赦ください。
津田
いえいえ。お願いします。
松武
それで権利関係のこととか、みんなで勉強しまして組織を作ったわけです。とはいえ、ミュージシャンといっても、クラシックやら、ジャズやら、われわれのようなシンセサイザー・プログラマーもいるわけです。この当時は、実際に楽器を演奏する演奏家はともかく、プログラマーに関しては、いったいどこから、どういったものがプログラミングとして権利対象になるのかということすら明確ではなかったという時代でした。ですから、楽器演奏のスタジオミュージシャンは、プログラマーよりも2年くらい先に団体ができました。
それで、プログラマーの定義というものもできてきたわけです。
津田
なるほど
松武
ええ、ただ楽器をスタジオに運んでいって、ボタンを押すだけでは、それは違うぞということでした。無から有を生む作業にどれだけ関与しているのかということですよね。
津田
そうですよね。ただ、スタジオ入りの前の、その仕込みの時間ということもあるでしょうしね。
松武
そうなんです。まず第一に「音色」については、新しい音を創ったらそれは著作権じゃないかということになったんですが、でもそれってどうやって登録するんだろうかということから始まったわけなんですよね。(笑)
で、まあそんなことをワイワイやっているうちに、音楽シーンも打ち込み全盛時代になって、そういう音色を創る技術のある人間がいないとできないという時代になって、プログラマー自体の地位も技術も認められるようになったという感じなんですね。
いまは、MPN(演奏家権利処理合同機)の中に、JSPAを含め8つの団体があるわけですけど、MPNができるまではカンカンガクガク、ほんとうに大変なことがありました。
津田
なるほど、税金のこととか、分配のこととかですよね。
松武
そうなんです。本当に、一介のミュージシャンにとっては、難しいことばっかりなわけですよ。(笑)音楽産業自体も、他の産業と比べるとまだ若い産業なわけですしね。