実演家インタビュー SUGIZOさん
聞き手:吉村栄一(編集者・ライター)
作曲家、ギタリスト、ヴァイオリニスト、音楽プロデューサーと多彩な活動をされているSUGIZOさん。2020年からの新型コロナウイルス禍の中でも精力的に音楽活動を続けてきたSUGIZOさんに、音楽制作やご自身の生活の変化、そして今だからこそ抱く思いを伺いました。(取材日:2021年11月18日)
SUGIZOさんプロフィール
作曲家、ギタリスト、ヴァイオリニスト、音楽プロデューサー。
日本を代表するロックバンドLUNA SEA、X JAPANのメンバーとして世界規模で活動。
同時にソロアーティストとして独自のエレクトロニックミュージックを追求、更に映画・舞台のサウンドトラックを数多く手がける。
2020年、サイケデリック・ジャムバンド SHAGを12年振りに再始動。
音楽と平行しながら平和活動、人権・難民支援活動、再生可能エネルギー・環境活動、被災地ボランティア活動を積極的に展開。アクティヴィストとして知られる。
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パンデミックでの一連の出来事は、稀有な状況での得難い体験で自分たちの糧になるんじゃないかなと思います
――新型コロナウイルスによるパンデミックから、もうすぐ2年が経とうとしています。2年目となった今年の状況っていかがでした?
去年は政府からの(中止や延期などの)要請を厳密に受け入れて、いろいろな活動を自粛しながら、その中でできることを模索してきました。でも、(無観客開催など)要請されていることが、本当に理にかなっているものなのか、どんどん疑問が膨らんでいきました。なので、今年になってから、去年の経験を踏まえてガイドラインを厳守して感染対策を徹底した上で、自分たちの判断で活動の内容を決めることにしました。
――たとえば?
まず去年から延期になっていたツアーを決行することにしました。たくさんの本数の公演の中には緊急事態宣言下のものもあった。全会場で全員にマスク着用、客席での声出し禁止は必須でした。会場によっては自治体独自の規制があって客席から立ち上がるのも禁止。まるでクラシック・コンサートのような状態です。しかしこれだけ徹底的な感染対策を取ったため、結果的に僕たちのツアーでの感染者は出ていない。こうすれば安全にコンサートができるっていう事実をひとつずつ積み上げていった1年でした。でもこれは僕たちだけじゃなく、多くのアーティストたちが(どうやれば安全に実施できるかを)自分で判断して物事を決めていっていると思います。
――2020年はパンデミックという事態に、みながどうしていいかわからない状態でしたもんね。
そう、去年はまったく予定が立たず、誰かとリアルに対面する仕事がほぼできませんでした。でもそれまでが忙しすぎたので、外に出る予定がまったくなくなって、家で引きこもることができたのは結果的にはよかったと思っています。それまで勉強したかったことができたり、今までできなかった学びの時間を作ることができた。一瞬たりとも時間を無駄にしなかったと思うし、作品づくりにもじっくりと打ち込めました。
――いっぽう、LUNA SEAとしての動きも早かったですよね。
はい、バンドとしてもリモートで活動するということができました。去年の春、緊急事態宣言になってすぐにリモートでやりとりして新曲を作り、やはりリモートでそれぞれ演奏してミックスして新曲として配信できた。さらにその新曲を携えてリモートの音楽フェスに出演。新しいやり方を見いだせたのはすごくよかった。いま受けているこういうリモートという形態のインタビューの仕事もそうです。
――今年になって、それらに加えてようやくリアルな活動も可能になってきました。まだまだ終わりが見えたとはいえないパンデミックですが、忘れられない出来事がいっぱいありましたよね。
そのどれもが意味深い出来事でした。その中でひとつ大きいことは、去年の年末に久々にLUNA SEAで大きなライヴが行われる予定だったんです。しかし、コンサートの当日にうちのメンバーのひとりの感染が発覚し、急遽延期になりました。しかし3か月後にその振替公演を同じ会場で行えた。メンバーがコロナから復活し、ちゃんとお客さんの前で公演ができたというのは感慨深かったですね。
――コンサートの収容率も制限されている中での大規模会場のコンサートでしたよね。
あのとき(2021年3月27日・28日)は上限5千人でした。満員でできるならそれに越したことはないけど、今の状況にもう慣れたと言えば慣れた。もちろん満員であればうれしいんですけど、逆にいかなる状況でもステージに立ったときに全身全霊で音を出すことができるという自信も得られた。むしろこの、歓声もない、みんな着席して静かに聴くという状況の中でそれまでどおりのことができるのか、あるいは全然ダメなのか、やる前はわからなかったのですが、やってみたら意外とちゃんとできたんです。決まりが厳しければ厳しいほど、そんな状況下でもライヴをやりたいという気持ちの再確認もできました。そしてライヴを必要としているファンの人たちとの新しい絆も生まれたと思っています。苦しい状況下でお互い必死でがんばってるという繋がりが絆となって、声援がまったくない客席から、ともすればそれ以前よりもさらに熱い気持ちが伝わってくるんです。これには、えも言われぬ感動を覚えました。パンデミックにならなければ体験できなかった一連の出来事は、ある意味で自分にとってとても貴重な体験でした。近い将来、世の中がノーマルな状態に戻ったときに、この稀有な状況での体験は得難いものとして自分たちの糧になるんじゃないかなと思います。
――ファンとの交流も深まっていった?
そう、こういう状況じゃないと絶対にできない新しい体験になっています。ファンクラブの方々が、仲間みたいになるんですよ。今年になって、ファンクラブのメンバーとのオンライン・ミーティング、いわゆるリモート飲み会(笑)も始めました。一回20人限定で、1時間半お互いでしゃべっているだけ。でも、それだけなのに親睦がすごく深まる。近年はファンクラブの人たちとのツアー・イベントをやってるんですが、今年はオンライン・ミーティング以降初めて対面でそれができた。そうしたらみんな、オンラインで何度も会っているからひさしぶりな感じがしない。それどころか逆に深く知り合えている。それはとてもポジティヴで、ひとりずつとの面談では、なんだか人生相談みたいになった(笑)。ミュージシャンとファンという、以前の関係とはちがった段階に来ている。これもパンデミックゆえの恩恵なのかもしれません。
――なるほど。作品作りの変化についても教えてください。どうしてもコロナ禍で暮らすことの影響が作品にも出てくると思います。
まさしくそうです。去年の末に出したアルバム『愛と調和』は、コロナ禍の打撃を受けて生まれたものです。この状況じゃないと作れなかった。本来の予定や計画がすべて白紙になってしまったので、この状況下だからこそ生まれたアイデアを形にした。すごく影響を受けてます。ただ、今年に入ってからはコロナ禍がある意味日常になってしまったところがあります。今年に入ってから作ったものは、あきらかにコロナ禍の影響は受けているはずなんですけども、それが作品にどう反映されているのかは自分では実感がありません。
――不思議ですね。現在はどんな作品に取りかかってるんですか?
もうほぼ完成しているんですけど、HATAKENさんとふたりでアルバムを作っています。基本的にモジュラー・シンセサイザーとギターのみで作ったアルバム。これはぜひ松武秀樹さん(※1)にぜひ聴いていただきたいんですけど。ギターもモジュラーに接続して弾いたりしています。更にローランドのヴィンテージのシンセ・ギターが大活躍してます。
――新境地?
なんというんだろう、自分的には新しくも懐かしい感覚。完全なる電子音楽アルバムでありながら、いわゆる無機質なシンセ・アルバムではなくて、とってもオーガニックな感触。ウェンディ・カーロス(※2)と冨田勲先生のちがいというか。冨田先生的なとても有機的なシンセサイザー・アルバムになっていると思います。このアルバムもコロナ禍だからこその作り方で、僕もHATAKENさんもほぼ対面することなく、それぞれ自分たちのアジトで演奏したお互いのデータを交換して作った。外部スタジオもほとんど使っていません。コロナ禍以前だったらこういう実験的なことはできなかったかもしれません。
――楽しみですね。いつぐらいの発表でしょう?
本当は今年の年末に出したかったんだけど、間に合わず2022年1月になるのかな。同時に去年リスタートしたジャム・バンドSHAGのアルバム作りも同時進行しています。SHAGは即興中心のジャズロック・バンドなんですけど、こちらもおもしろい作り方をしています。去年BLUE NOTE TOKYOで計4回の公演をやったんですが、その全公演をマルチ・トラックで収録しました。今年に入ってSHAGの配信ライヴもあって、それも録った。それら全5公演分のマルチ・トラックを使ってそのいいところを編集して、そこに追加の演奏を足してアルバムを作っています。1970年代以降のフランク・ザッパ(※3)はほとんどのアルバムをライヴ・テイクをスタジオで加工して音を重ねて作品を作ってきましたよね。あるいはマイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』以降の一連のアルバムのように、ひたすら延々とジャムった演奏を編集して作品化する。スタジオで長時間セッションした音源をテオ・マセロ(※4)がテープを切り刻んで編集して作っていて、僕はいまその現代版をやっているような感じです。非常におもしろい。それもやはりコロナ禍にできるだけプライベート・スタジオにこもって一人でやれる作業を選択した結果なんですね。
――今後も作品作りにパンデミックが影響を与え続けると思います?
もうこれが常識になってしまったので、どこまでがパンデミック影響でどこまでがそうじゃないのかがわかりにくくなっていくと思いますが、今まで作ったものはパンデミック時で活動が限定されたが故に生まれた手法なので、この状況をおもしろいほうに生かせているんじゃないかと思います。今のところはですけど。
――適応力が高いんですね。
僕はけっこう高いほうだと自分でも思ってます。その状況でできる最善のやり方を選択していくというのは嫌いじゃない。
――世の中が通常に戻ったときにまず再開したいことはなんでしょう?
一刻も早く可能になってほしいのは、また自由に海外に行けることですね。すぐに行きたい。
――たとえばどこに?
仕事としては海外でのレコーディングをまたやりたいし、ずっと続けてきた中東の難民の方々への支援のためのパフォーマンスも一刻も早く再開したい。プライベートではヴァケーションで海に潜りに行きたい。僕にとってはデビュー以降、海外に行くのは日常だったので、去年、今年のような1年に一度も海外に出ないというのは大人になって初めて。しかもそれが2年も続いてる。パスポートを一度も手にしていない2年間。自分の人生にとってすごく大切な部分がごっそりと削ぎ落とされているような気がします。
――それはさみしいですよね。
はい、会いたい友人や仲間もいっぱいいますし。もともと、去年リリースを計画していたアルバムはイギリスとフランスで現地のアーティストと一緒にレコーディングすることを念頭に置いたものなので、それはもう完全に白紙に戻ってしまいました。できればそのプロジェクトを再生させたいです...
――プライベートで行きたい場所は?
ハワイにすごく行きたい。ぼくはハワイ島が本当に好きで、一刻も早く戻りたい。あと、海外じゃないですけど、年に何度か沖縄の海に潜りに行ってるんです。去年は秋口に状況が一瞬緩和されて行くことができたんですけど、今年はいちばんいい時期の8月は沖縄も東京も大変な状況だったので叶わなかった。そういうことがなくなることで、自分は癒されてないなという気持ちが非常に強い。すごくきつい。
――そうした旅に行けないということも含めてプライベートの生活も大きく影響を受けたと思うのですが、それによる変化ってどうだったんでしょう?
去年はプライベートも大きく変わりましたね。たとえば外食ができないので自分で料理をして家で食べることが多くなりました。
――自炊ですか!
そう、それまでほとんど自炊はしていなかったんですが、やってみたら、意外と得意だということに気がついた(笑)。今は忙しくてやる時間がなくなってしまったのが残念。本当は音楽活動を1年ほど休んでがっつり料理の研究をしたいぐらいですが(笑)。それぐらいのとこまでハマってた。
――いちばんの得意料理はなんでしょう?
得意なのはフレンチトーストですね(笑)。あと、料理と言えるか微妙なんですけど、天下一品のお持ち帰りセットを誰よりも上手に作れます(笑)
――(笑)
あとは、去年初めてやって感動したのが登山です。去年出した『愛と調和』というアルバムは縄文時代にインスパイアされた作品で、縄文杉のある屋久島にも影響を受けたんです。アルバムのために屋久島のいろいろな音をフィールド・レコーディングをしに行き、ヴィジュアルのための重要な撮影もしました。その撮影のために屋久島の山に登って、とっても感動した。これはこれからもやっていきたいなあと思ったんです。
――それはいわゆる本格的な登山にチャレンジしたいということですか?
はい、今後は本格的に取り組みたいと思います。まだ屋久島と関東のいくつかの山に登っただけで、そんなに高い山ではないんですが、それでも山にはすごく癒されることがわかったんです。同時に足腰も鍛えられるし、いいことばかりですよ。ただ、いきなりがんばって膝を痛めたりもしましたが。多くの人と同様だと思うんですけど、去年から外に出なくなって、やはり足腰が弱るんですよね。僕はステージ活動があるから体が資本なので、つねに鍛えていなきゃいけない。そういう意味で登山ってすごくいいなと。
――意外に思う人も多いかもしれませんね。
こう見えてもぼくは自然と触れることが大好きで、海にも潜るし、15年ほど前はサーフィンにもハマってた。これからは山ですね。まずは道具集めから(笑)。それがいちばん楽しかったりして(笑)。そういえばむかしはロック・クライミングをやりたいと思っていた時期があって、でも、指を怪我する危険性を考えるとギタリストとしては難しい。この年になると自分に残された時間を考えるようになるので、指を怪我して音楽ができない時間を作るのは言語道断です。格闘技も好きなんですが、これから合気道は始めたいと思っています。合気道は他の格闘技と違ってこちらから攻撃はせずに相手の攻撃の力を利用して返すという武道なので手へのダメージが少ないのではないかと。いい先生を探しています。
――困っていることとかはあります?
ずっと苦しんでいるのが睡眠です。けっこう酷い睡眠障害で、それがいちばんの悩みです。どんなに疲れていても熟睡できない。短時間で目が覚めてしまって、そのまま寝れなくなっちゃう。ぐっすり寝て疲れが取れたという体験がもう何十年もないです。この悩みをクリアできて、質のいい眠りができたらもっと自分の精度を上げられるのに、と悔しいです。いいパフォーマンスをしたいし、つねに頭が冴えた状態でいたい。そのためには食と睡眠は大事。
――登山を本格的にはじめると癒されるし体力も使うのでぐっすり眠れるんじゃないですか?
だといいですね、テントと寝袋でね。実は僕は寝袋で寝るのが好きなんですよ。以前は自分のスタジオであえて寝袋で寝たりもしていました。昔から押し入れとか狭いところが好きなんですよ(笑)。東日本大震災のときに東北へボランティア活動に行ったときは何日もずっとテントと寝袋の生活でしたが全然苦になりませんでした。でも、この睡眠障害はなるべく早く専門的なお医者さんにかかって解決しなきゃと本当に思ってます。睡眠導入剤などを使うとやはり起きたときに体が重いし、頭も冴えないので避けたい。
――今後の仕事の上での展望はどうでしょう?いますでにフル回転のようですが。
今年に入るとプライベートがほぼないに等しいほど忙しくなった。生活の95%ぐらいは仕事漬けな感じ。なので新しい変化というのは、どうだろう? これはまだ仕事じゃないんですけど、今後ちゃんと仕事につなげていきたいのがエネルギー関連。去年、僕の中でも世の中的にも大きく変わったのは、SDGs(※5)の一般的な認識が大きくなったこと。気候変動の問題のためにエネルギー・シフトが必要で、カーボン・ニュートラルへの意識、再生可能エネルギーの必要性の認識が日本国内で大きく変わりましたよね。僕は再生可能エネルギーで生まれた水素を活用した社会の構築に関して、数年前から音楽と同等のプライオリティでコミットしています。LUNA SEAや自分のソロのコンサートで水素発電の電気を使って、エンターティンメントを極力カーボン・ニュートラルで行うようにしていました。エンタメの立場で水素の普及に取り組んでいる人はまだいないので、これは僕がやらなきゃという気持ちがあった。これからはそれをボランタリーにやるのではなくて、ちゃんとしたプロジェクトとして推進していきたいという気持ちです。実は今年は地方で各自治体と一緒に水素社会の推進に対する動きをやってきました。今そちらに本当に舵を切らないと、とくに日本のような国はエネルギー問題、企業のビジネスもやばいと思います。このことがパンデミックになったことと関係があるのかどうかはわかりませんが。
――やはりパンデミックで自宅にこもり、ひとりの時間が多くなるといろいろ考えますよね。SUGIZOさんのように前向きな気持ちで社会や自分と向き合うというのはすばらしいことだと思います。
そう、とくに去年は春以降ひとりの時間が多くて本当に多くのことを考えました。情報収集にやっきになっていた。仲間の多くがコロナの打撃で精神的に落ち込んでしまったり、自死したりもしました。僕はまったくそういうことがなくて、むしろやる気に満ちていた。勉強、研究の期間にあてられた。
――料理もできるようになったし(笑)。
(笑)このパンデミックの状況下で強く感じたことは、今まで当たり前のこととしてやってきた活動が、実は奇跡だったんだと。メンバーが感染してコンサートが中止になったりしましたが、ひょっとしたら重症化して命をなくしていたかもしれない。それを考えるとバンドのメンバー全員が元気で一緒に音楽ができることは実は奇跡なんだと。ライヴをやって、自分たちが演奏できる、お客さんたちも来られる。みんなが同じ空間にいて、同じ感動を味わえる。これは奇跡だったんだと、あらためて全身の細胞レベルで感じています。僕の場合は音楽だけど、人それぞれ、たとえば演劇だったりダンスだったりいろいろな表現行為がありますが、それを当たり前にできて生活していけるということに対して感謝の気持ちしかありませんし、一刻も早くその奇跡的な日常が戻ってきてほしいです。
※1 松武秀樹
シンセサイザー・プログラマー、作編曲、プロデューサー。音楽仲間としてSUGIZO氏とも親交が深い。芸団協CPRA運営委員、法制広報委員として今回の取材にも同席した。 (▲戻る)
※2 ウェンディ・カルロス
アメリカのシンセサイザー奏者。1968年のアルバム『スイッチト・オン・バッハ』で世界に衝撃を与えた。1972年に男性から女性に性別を変更し、名をウォルターからウェンディに改めた。 (▲戻る)
※3 フランク・ザッパ
1960年代から1990年代まで活躍したアメリカの進歩的なロック・ミュージシャン/作曲家。 (▲戻る)
※4 テオ・マセロ
アメリカのジャズ奏者/プロデューサー。マイルス・ディヴィスのアドバイザー、コラボレーターでもあり、作品の多くの編集も行った。 (▲戻る)
※5 SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標) (▲戻る)