TPPによる実演家の権利への影響
企画部広報課 君塚陽介
2015年10月に大筋合意された環太平洋経済連携協定(TPP)。TPPには著作権関係の事項も含まれており、TPP締結に向けた著作権法改正案が、今通常国会に提出される見込みだ。TPPは、わが国の実演家の権利にどのような影響を及ぼすのだろうか。
TPPをめぐる議論の経緯
TPPh2の大筋合意を受け、TPPを締結するために著作権法改正の必要性を検討すべき事項が、まず、文化庁の著作権分科会法制・基本問題小委員会において議論された。次の5項目を、検討すべき事項として掲げている。
すなわち、①著作物等の保護期間の延長、➁著作権侵害罪の一部非親告罪化、③著作物等の利用を管理する効果的な技術的手段(アクセスコントロール等)に関する制度整備、④配信音源の二次使用に対する使用料請求権の付与、及び⑤法定の損害賠償又は追加的な損害賠償に係る制度整備である。
昨年11月4日開催の第6回会合では、関係団体に対するヒアリングが実施された。椎名和夫芸団協常務理事が出席して、保護期間延長や配信音源の二次使用に対する使用料請求権の付与について歓迎する旨意見を述べている※1。
そして、11月11日開催の第7回会合において『TPP協定(著作権関係)への対応に関する基本的な考え方』を取りまとめた後※2、内閣総理大臣を本部長とするTPP総合対策本部において、著作権関係の事項を含む『総合的なTPP関連政策大綱』が決定された※3。
これらの事項のうち、とりわけ実演家の権利への影響が大きい、①著作物等の保護期間の延長、及び④配信音源の二次使用に対する使用料請求権の付与について取り上げる※4。
実演の保護期間
TPPでは、著作物については著作者の死後少なくとも70年、レコードに固定された実演及びレコードについては、許諾を得て発行された年の最後から少なくとも70年としている(TPP18.63条)。現在、わが国の著作権法では、実演の保護期間は、50年としているため、TPPに対応するためには著作権法改正が必要となる。国際条約のほか、わが国著作権法や諸外国における発展を次に見ていく。
(1)国際条約における実演の保護期間
実演に関する最初の国際条約である1961年のローマ条約では、レコードに収録された実演に関しては固定が行われた年の、レコードに収録されていない実演については実演が行われた年の、それぞれ終わりから20年よりも短くてはならないとしている(ローマ条約14条)。
また、1994年のTRIPS協定では、ローマ条約が定める実演の保護期間を延長し、実演が行われた年の終わりから少なくとも50年としている(TRIPS協定14条5項)。さらに、1996年のWPPTでは、実演がレコードに固定された年の終わりから少なくとも50年と定めている(WPPT17条1項)。なお、2012年に成立した視聴覚的実演を対象とする北京条約においても、実演が固定された年の終わりから少なくとも50年としている(北京条約14条)。
(2)わが国における実演の保護期間
①旧著作権法
旧著作権法では、実演(演奏歌唱)は著作物として保護され、実演家は著作者の地位を有していた。旧著作権法における著作物の保護期間は、著作者の死後30年としていた(旧法3条)。
なお、現行著作権法では、実演の保護期間は、実演が行われた日の属する年の翌年から起算して50年となっているが、現行著作権法の施行日(1971(昭和46)年1月1日)において、旧著作権法による保護が存続している場合には、旧著作権法と現行著作権法のいずれか長い保護期間が適用される(附則15条2項)。
例えば、1985年に亡くなった実演家が、1960年に行った歌唱については、旧著作権法が適用され、2015年12月31日まで保護されることになる。
ただし、旧著作権法による保護期間が、現行著作権法施行の日から50年よりも長くなる場合には、2020年12月31日をもって満了する(附則15条2項)。
②現行著作権法
1970(昭和45)年、現行著作権法の成立当時、実演の保護期間は、実演が行われた年の終わりから20年と、ローマ条約に沿ったものとなっていた。旧著作権法では、実演家の死後30年であったものが、実演後20年と、形式的には実演に係る保護期間は短くなったことになる。
この理由について「二次使用料を受ける権利を創設したことによって実質的保護内容が拡大されたこと及び将来の著作隣接権の国際的保護を考慮すればとりあえず実演家等保護条約[筆者注-ローマ条約]の要求するレベルで足りる」と説明されている※5。
しかしながら、数度の著作権法改正により、実演の保護期間は延長されている。1988(昭和63)年改正では、「現行法制定当時は、実演家等保護条約締約国中、保護期間を20年又は25年と定めるものがほとんどでしたが、その後20年を上回る保護期間を定める締約国が増え、20年の保護期間を定める国は次第に少数派」になってきていることから※6、保護期間を30年に延長している。
さらに1991(平成3)年改正では、保護期間を50年に延長し、現在に至っている。この理由について「GATT(関税と貿易に関する一般協定)の包括貿易交渉の中で知的財産権に関する国際ルールづくり(TRIPS交渉)で著作隣接権の保護期間を50年とする議論が大勢であることや、1990年のドイツやチェコスロバキアにおける保護期間を50年とする法改正、その他先進諸国の動向等を考慮し、わが国の国際的地位に応じて著作権隣接権制度の充実を図る」と説明されている※7。
(3)諸外国における実演の保護期間
①欧州の状況
EUでは、1993年に採択された保護期間指令が、2011年に改正され、実演家の権利の保護期間が延長されている。
当初、保護期間指令では実演から50年としていた。ただし、実演の固定物が、この期間内に適法に発行又は公に伝達されるときは、最初の発行又は伝達のいずれか早い方から50年と定めていた。
2011年改正では、レコードに固定された実演に関しては70年に、レコードに固定された実演以外については50年とされた。
EU加盟国で、確認できた範囲では、フランス、ドイツ、オランダ、イギリス、デンマーク、ギリシャ、スウェーデン、ルーマニア、イタリア及びベルギーが、この保護期間指令に沿って、レコードに固定された実演については70年、レコードに固定された実演以外については50年としている。
②アメリカの状況
アメリカでは、録音物に固定された実演は、レコード製作者との共同著作または職務著作として扱われ、著作物の保護期間によることになる。現行アメリカ著作権法が、1976年に成立した当時、著作者の死後50年、職務著作は発行から75年としていたが、1998年著作権法改正により、著作者の死後70年、職務著作は発行から95年に保護期間が延長された。
③アジアの状況
確認できる範囲ではあるが、アジア各国では、実演家の権利の保護期間は、ローマ条約、TRIPS協定及びWPPTに、概ね沿った形で保護期間を定めている。
中国、台湾、インド、マレーシア、インドネシア、ベトナム、フィリピン及びタイが50年としている。ただ、韓国が、2011年法改正の際に50年から70年に延長している。
配信音源の二次使用に対する使用料請求権の付与
TPPでは、実演家及びレコード製作者に対して、その実演又はレコードの放送、公衆への伝達※8及び利用可能化について排他的権利を与えなければならないと定めている(TPP18. 62条3項(a))。しかしながら、WPPT15条1項、4項を適用することによって、この義務を満たすことができる旨定めている(TPP18. 62条脚注70)。
WPPTでは、商業上の目的のために発行されたレコードを、放送又は公衆への伝達のために直接又は間接に利用することについて、実演家及びレコード製作者は、単一の衡平な報酬請求権を与えている(WPPT15条1項)。さらに、有線又は無線の方法により、公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において利用が可能となるような状態に置かれたレコードは、商業上の目的のために発行されたものとみなしている(WPPT15条4項)。つまり、WPPTでは、インターネットなどでオンデマンド配信される音源は、単一の衡平な報酬請求権の客体とみなしているのだ。
この規定は、 WPPTの策定段階において、公衆からアクセスできるようにアップロードされた場合も「発行」とする定義規定が削除された代わりに、WPPT15条のみを対象として挿入されたものだ※9。
わが国の現行著作権法では、実演家及びレコード製作者に対して商業用レコードの二次使用料請求権を認めている(著作権法95条、97条)。しかしながら、実演家及びレコード製作者の二次使用料請求権の客体となる「商業用レコード」とは、「市販の目的をもつて製作されるレコードの複製物」のため(著作権法2条1項7号)、配信音源は、二次使用料請求権の客体にあたらない。
さらに、2002(平成14)年にWPPTを締結する際にも、配信音源の取扱いについての著作権法改正等は行われず、配信音源は、二次使用料請求権の客体とならない旨留保宣言を行った。すなわち、「...有線又は無線の方法により、公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において利用が可能となるような状態に置かれたレコードについては、同条(1)の規定[筆者注-WPPT15条1項]を適用しない」としたのである(外務省告示301号平成14年7 月12日)※10。
この理由について「現状では、我が国の放送事業者等が、インターネットからダウンロードした音源を放送等に用いている実態がほとんど見られないため、実演家やレコード製作者の利益を害するおそれも少ない」と説明している※11。
このようにTPPに対応するためには、WPPT15条4項にしたがい、配信音源を二次使用料の客体とする著作権法改正等の制度整備が必要となる。
【注】
※1:文化庁ウェブサイト(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/ h27_06/pdf/shiryo_8.pdf)に掲載。(▲戻る)
※2:文化庁ウェブサイト(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoki/h27_07/pdf/shiryo_1.pdf)に掲載。(▲戻る)
※3:TPP政府対策本部ウェブサイト(http://www.cas.go.jp/jp/tpp/pdf/2015/14/151125_tpp_seisakutaikou01.pdf)に掲載 (▲戻る)
※4: 上野達弘「TPP協定と著作権法」ジュリ1488号58頁(2016)も参照。(▲戻る)
※5: 加戸守行『著作権法逐条講義〔六訂新版〕』658頁(著作権情報センター、2013)(▲戻る)
※6:前掲注5)加戸658頁(▲戻る)
※7:前掲注5)加戸658頁(▲戻る)
※8:TPPにおける「公衆への伝達」とは、「実演の音又はレコードに固定された音若しくは音を表すものを放送以外の媒体により公衆に送信すること」とされ(TPP18. 57条)、レコードに固定された音や実演を公に聴かせることは含まれない。(▲戻る)
※9:文化庁国際著作権室「WIPO新条約について」コピ430号19頁(1997)参照。(▲戻る)
※10:この留保宣言は、放送の同時再送信等に係る平成18年著作権法改正を受け、「...有線又は無線の方法により、公衆のそれぞれが選択する場所及び時期において利用が可能となるような状態に置かれたレコードについては、『入力型自動公衆送信』における直接又は間接の利用の場合に同条(1)の規定を適用する」と修正されている(外務省告示62号平成20年1月30日)。(▲戻る)
※11:白井俊「実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約について」コピ499号10頁(2002)(▲戻る)