褻にも晴にも
公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長 野村 萬
狂言「舟ふな(ふねふな)」の中に、「褻(け)にも晴(はれ)にも歌一首」という台詞があります。「晴」は非日常の場を、「褻」はそれ以外の日常を指し、どのような場面にあっても同じ歌しか詠めないということを揶揄する言葉であります。
古来、我が国では、「褻」と「晴」の日を明確に区別し、その行き来の中で暮らしてきました。正月や盆のような年中行事あるいは結婚式のような公の儀式においては、普段とは異なる衣服を身に着け、酒や赤飯などの特別な食事をし、常とは異なる時間や空間の中で過ごすことで、労働と休息を繰り返す日常の生活に変化を与えていたのです。
ところが、明治以降、生活習慣が変化し「褻」と「晴」との区別は曖昧になってきました。しかし本来、褻と晴はどちらか一方のみで在り得るものではありません。陰と陽しかり、静と動しかり、対照的な要素が共に在ることによってそれぞれの美点があざやかに立ち上がり、互いに影響を及ぼし合うことで物事は深みを増すものです。能楽においても、詩情豊かな能と和楽の心の狂言が共に演じられ、対比されることで、その世界がより豊かなものになっています。
晴れの舞台という言葉があるように、芸能は古くから非日常の時間を生きるものとして、人々の生活の中に在り続けてきました。その「晴」の舞台は、日々の厳しい修業、地道な研鑽の先に初めて実現するものです。そして、実演家、実演芸術が社会において大輪の花を咲かせるための「褻」の土壌づくりこそ、芸団協の果たすべき役割であると存じます。
能の大成者である世阿弥は、その著『花鏡』の中で、「初心忘るべからず」という言葉を残しています。一般には思い立った当時の志を常に心に留めよとの意味で知られていますが、世阿弥は、若い頃の「初心」だけでなく、「時々の初心」と「老後の初心」についても忘れてはならないと説いています。すなわち、人生の節目節目において、また老境に至ってもなお、己の未熟さを顧みよとの戒めなのです。
芸団協が、実演家著作隣接権センター(CPRA)による著作隣接権事業と、芸能花伝舎を拠点とする実演芸術振興事業の二つを組織運営の柱に据え、公益社団法人として歩み始めて、今年で五年となります。実演家および実演芸術を取り巻く環境は目まぐるしく変化し続けておりますが、いま一度初心に立ち返り、文化芸術のさらなる発展のためなお一層力を尽くしていかねばならないと思いを新たに致しております。今後とも御指導御鞭撻を賜りますよう心より御願い申し上げ、新年の御挨拶と致します。