PLAZA INTERVIEW

vol.042「私にとって創造することは生きること」

すらりとした長身で、クールなかっこいい女性を演じられることの多いとよた真帆さん。最近では、都会的なイメージからは意外な「石の収集」というご趣味でも有名です。そんなとよたさんに、女優業から、趣味の域を超えた幅広い創作活動、さらには映画監督・小説家でいらっしゃるご主人の青山真治様のことまで、余すところなく語っていただきました。聞き手は松武秀樹CPRA広報委員会副委員長。
(2013年05月15日公開)

Profile

とよた真帆さん
1983年、学習院女子高等科在学中にモデル活動を開始、翌年お茶の水文化学院転入後、美術科にて絵を学ぶ。1986年、「アニエスb」 の日本人モデルとしてパリコレクションなどに出演。22歳で女優に転身、CX系 「愛しあってるかい!」 で女優デビュー。その他にも、写真や絵画の個展を開いたり、京友禅の絵師として着物のデザインを手掛ける。また、暮らしのアイデア本 「とよた真帆のインテリア・ライフ」 (講談社) を出版するなど趣味の域を超えた活動を展開。 現在、ベルギー 「ワロン・ブリュッセル」 の観光大使を務める。

子どもの頃からの憧れを職業に

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衣裳協力:Otto

――小さい頃から石や地層が好きで考古学者にあこがれていらしたそうですが?

地面に落ちている石に自然に目がいってしまう子どもでした。「猫がかわいい」と思うのと同じように、「石がおもしろい、かわいい。」と感じるんです。石が気になり始めると、その石を生み出した地層に関心が出て、さらには大陸の移動、地球全体まで、関心がどんどん広がり、あらゆることがつながっていることが分かるとますます楽しくなります。今でも旅行にいった先で「この石畳はどこから切り出したんだろう?」と興味が尽きません。自分へのお土産に、その土地の石を買ったりしますし。

――そうした中、なぜモデルを目指されたのでしょうか?

いとこが宝塚のファンだったり、兄が映画を製作していたり、と、映画や舞台が身近にある環境で育ちました。ただ、当時の芸能界は学校の校則以上に厳しいのではないかという漠然とした不安がありました。通っていた学校が芸能活動禁止だったこともあって、大手プロダクションからのスカウトもあったのですが、断っていました。一方、華やかなモデルの世界には憧れていたのですが、身長が低かったんです。ところが中学生になって急に身長が伸びて、入学時は150センチだったのが、卒業時には167センチまでなりました。その後も伸び続けて、今では174センチです。それで、モデルという選択肢が出てきたんです。

――さらに女優に転身されていますが、きっかけは?

モデルは新鮮さが重視される世界ですし、あくまで洋服が主役なので、20代の前半までしか続けられないかな、と漠然と思っていました。女優の仕事はやってみたいと思っていましたが、当時は背が高い女優がほとんどいなかったんです。相手役の男性より背が高かったら、キスシーンが絵になりませんですからね(笑)。 それでも、どうしても女優になりたいと思って色々と働きかけた結果、役をいただけて、現在に至っています。

女優業中心の生活

042_pho02.jpg ――テレビや映画、舞台と幅広く活躍されていますが、役作りや美容・健康のために気をつけていらっしゃることはありますか?

自分では普通だと思っていたのですが、人に言わせると「ストイック」なようです。女優業で100%力が発揮できることを中心に生活が回っています。食事にはかなり気を遣っていますね。植物性乳酸菌を多く取るように、納豆もご飯にかけず、そのまま食べるんですよ。トレーニングも、加圧トレーニングやピラティス、ストレッチ...。私にとっては、カラオケもボイス・トレーニングです(笑)。

――以前、芸能花伝舎もご活用いただいたことがあるとか?

そうですね。蜷川幸雄さん演出の舞台「リア王」の稽古に入る前に準備として、芸能花伝舎で、イギリスで学ばれていたボイス・トレーナーの方のレッスンを他の出演者の方々と一緒に受けました。私にとっては、仕事に向けて準備をすることがあたりまえなんです。

――そういった生活はきつくありませんか?今日はお酒を飲んでだらーっとしたいという日もないですか?(笑)

全然。楽しんでやっています。食事のときにワインを一杯くらい飲むことはありますが、お酒は基本的に飲みません。お酒に楽しみを見出せないタイプのようですね。夫は真逆で、お酒に飲まれるタイプですが(笑)。なぜそんなに飲むのか、いつも不思議な気分で夫を見ています。

何か創っているのが幸せ

042_pho03.jpg ――女優業に留まらず、写真や絵画、着物のデザインなど、幅広い表現活動をされていますね。

ロケに行くと空き時間が多いので、その間に出来ることとして、写真を始めました。それがだんだん高じて、4台のカメラと100本ほどのフィルムをいれたリュックを背負って、旅行に行っていました。インドなど秘境への旅が好きだったので、写真の素材に事欠きませんでしたし。ところが、デジカメの時代になったとたん興味がなくなってしまって。携帯電話で取ればいいや、という感じになっています(笑)。 絵は、モデルの活動を始めると同時に高校を転校して、文化学院美術科で学んだんです。女優になってからも趣味で続けていました。描きためた絵で個展を開いたりと、創作活動を続けていく中で、たくさんのご縁があり、京友禅の製作に関わらせていただくようになりました。最近では着物の需要が減っている上に、海外から安価の着物が輸入されるようになり、着物という伝統文化にとって危機的な状況だと思います。新しい絵柄を提供することで、京友禅の創造のサイクルが上手く回るようになり、後世に残すことに微力ながらも協力できれば、と思っています。

――写真や絵画のどういったところに魅力を感じるのですか?

女優業は役の性質があるので、自分なりにどう膨らませるかというところが重要ですが、絵は自由に想像力を膨らますことができます。写真は、被写体をどう活かすかという点でまた違う楽しみがあります。同じなのは、どれも創造するという点で、それが私にはとても大切なんです。私にとって創造することが生きているということですから。それは図工室に入り浸っていた小さい頃から変わりません。何か創っていることが幸せなんです。

――先ほど、京友禅の世界での創造のサイクルのお話をされましたが、芸能の世界でもこのサイクルは大切だと思います。私共CPRAは、俳優の方々に代わって放送番組のDVD化や海外版販等を許諾し、使用料等を徴収、俳優の方々に分配しています。数々の映像作品にご出演されているお立場から、我々CPRAの活動へメッセージをお願いいたします。

CPRAがあることで私たち女優や作品が守られている、とてもありがたい存在です。私たちがのびのびと芸能活動が続けられるよう、これからも宜しくお願いいたします。

――実演家のみなさんあってのCPRAですので、こちらこそ宜しくお願いいたします。最後に今後挑戦されてみたいと思われていることをお聞かせ下さい。

こんなことにも興味があるのか、と笑われそうですが、実は作詞にチャレンジしているんです。きっかけは、今年3月に夫が演出した舞台で初めて人前で歌を歌ったことです。1年ほど前、たまたま二人でテレビを見ている際に私の歌声を聞いた夫がびっくりして。結婚して10年以上経つのに、夫はその時初めて私の歌声を聞いたんです。そして浅川マキさんの「セントジェームス病院」のCDを持ってきて「これを歌えるか?」と言ってきたんです。そうしたら、偶然にも浅川さんのキーが私にぴったりだったんですね。夫はずっと浅川マキさんの映画が撮りたかったそうで、浅川さんの歌が歌える女優を捜していたのに、「まさか家にいたなんて」(笑)。その舞台でギタリストを演じて下さった作曲家の山田勳生さんと夫と私で音楽をやりたいね、という話になって。私も国語だけは成績が良かったものですから、ちょくちょく詞を書いては、二人に送ってチェックしてもらっています。

――それではバンドデビューを楽しみにしております(笑)。今日は楽しいお話をありがとうございました。

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