PLAZA INTERVIEW

vol.022「落語家にとって一番大事なのは「間」」

記録的な長寿番組「笑点」のメンバーとして、放送開始以来出演を続け、2006年からは司会をつとめている桂歌丸さん。卓抜な芸で大いに演芸場をわかせ、茶の間から日本中を笑いの渦に巻き込んできた。高座では三遊亭圓朝作品など古典落語を中心に演じているが、その心情は、「とにかく、お客様に喜んでもらうこと」と明快。毎年秋に芸能花伝舎で行なわれる「芸協らくごまつり」の会場でも、笑顔で気軽くサインや写真撮影に応じる姿に、「お客様第一」の精神がにじみ出る。一方、アメリカやヨーロッパ、東南アジアなど海外に出向いての公演で大成功をおさめたほか、落語芸術協会会長としても落語の普及のために日々、尽力している。今回は、CPRA広報委員会の松武秀樹委員長に加え、「落語が何より大好き」という椎名和夫CPRA運営委員も聞き役に参加。約60年に及ぶ桂歌丸さんの噺家としての足跡、落語にかける思いなどをたっぷりと伺った。
(2010年03月18日公開)

Profile

落語家
桂歌丸さん
1936年神奈川県横浜市に生まれる。出囃子は「大漁節」。生家は祖母の経営する置屋で、芸者衆の姿を見て育つ。小学校時代すでに落語家になる意思をもち、中学3年生で古今亭今輔師匠に弟子入り。後に師匠となる兄弟子、桂米丸の初名、古今亭今児を名乗る。64年に桂歌丸に改名。68年に真打に昇進する。日本テレビの「笑点」には、放送開始以来継続して出演。高座では、古典に重点を置いて演じている。カナダ、アメリカ、フランス、メキシコ、ベトナム、カンボジアなどでの海外公演も。04年から社団法人落語芸術協会会長。07年旭日小綬章受章。

小学生から噺家をめざして

――師匠が落語家になった理由は、なんだったのですか。
噺家の90%が、落語が好きで噺家になってますね。けっして、人にすすめられてなる商売じゃない。とにかく、落語をしゃべりたい以外に何もないです。

022_pho01.jpg ―― 小さいときから
私がこの道をめざしたのは、小学校4年のときです。本当はね、中学行きたくなかったんですよ(笑)。私を育てた祖母がね、みっともないから中学だけは出ておいてくれっていうんで、嫌々行きました。でも、3年間がまんできなくて、中学3年の11月の終わりにもう噺家になっちゃいましたから。(笑)。

―― いろいろと苦労をされたんですか。
私は、家が女郎屋というちょっとかわった商売でしたんでね。両親に縁が薄くて祖母に育てられたから、わがままいっぱいに育てられて。だから、噺家になるまでは恵まれていたんですけど、なって1年目に祖母に目をつぶられて一人ぼっちになって。それから、えらい苦しい思いをしました。芸の修行よりも、人生の修行のほうが苦しかったですね。

噺家にとって一番大切なものは「間」

022_pho02.jpg ―― 落語家として、師匠が大事にされていることは何ですか。
私たちがいちばんこしらえなきゃいけないもの、これは「間」です。早く自分の間をこしらえた人が勝ちですね。同じ噺をやっても、お客様に受ける人と、まるで受けない人がいる。どこに違いがあるかというと、間なんですよ。間以外に何もない。

―― 「間」というのは大切なんですね。
最初のうちは、教わった師匠の間の取り方です。そのうち、いろんな師匠の噺を聞いて、自分の間をこしらえていくわけです。私なんか、本当に間が出来たのは、40過ぎてからじゃないですか。弟子に噺を教えることはできますが、間を教えることはできないんです。

―― 自分なりにこしらえるものなんですね。
間のいい人は、つまんない噺やっても受けるし、間の悪い人はどんな面白い噺やっても受けないんです。人の噺を聞くと、「ああいう間の取り方があるのか」と勉強になりますね。

――「淀五郎」という、歌舞伎を題材にした噺がありますよね。私たちミュージシャンも、最初は誰かのコピーから入って、だんだんオリジナリティーを編み出していくんですけど、「淀五郎」の噺のなかに、なかなか芝居がうまくならない主人公が「お前さん、誰の型でやってんだい」と問われる場面があるんですが、「型」というのは、日本的な美学のようなものなのでしょうか。
歌舞伎の世界と我々の世界ではちょっと違いますけど、落語にも誰の型というのはあります。いまはあまりうるさくないですけど、三遊派と柳派じゃ型が違うということもあるんです。昔は、それが大変堅く守られていたんです。だから、役者でいう型のようなものはある。ただ、いかに、自分でその型をこしらえていくかっていうのが、我々の仕事ですね。

落語の勉強のために歌舞伎を観る

―― そういうものは、どうやって身につけていくんでしょうか。
私はね、噺の形を覚えるんじゃなくて、噺をこしらえるために歌舞伎を観るんです。たとえば、煙草の吸い方だって、侍の場合はこうやって肩を怒らせて吸えば侍になりますよね(扇子を取り出して煙草を吸う型を見せてくれる師匠)。町人だったら、いくらか肩を落として柔らかく。廓なんかで自分が色男だと思ってる奴なんかなら、キセルを少し下げれば、「ヤニ下がる」っていう言葉がある通り、助平ったらしい人間に見えるんです。

―― ああ、なるほど。そういうものの勉強は、師匠が教えてくれるもんじゃなくて...
私の今輔師匠は、一言だけ教えてくれたんです。「歌舞伎観なさい」。それでおしまい(笑)。最初はなんのことだかわからなかったですよ。たとえば、歌舞伎を観ていると、上下(かみしも)の違いがどんなものかもわかるんです。ところが、いまの若い方々は、あまり芝居やなんかを観たり研究したりしないんで、ドタバタのところがあるんですね。

長寿番組「笑点」が面白いわけ

022_pho03.jpg ―― 歌丸師匠といえば、番組開始以来45年続いている「笑点」ですが、ここまでできた理由は何でしょうか。
あたしが聞きたいぐらいですよ、それは(笑)。化けもんですよ、私にいわせりゃ。レギュラーは何人か代わりましたけど、個性じゃないですかねえ。みないろんな個性をもってますから。それと、しばられないってこと。こういうふうにやってくださいなんて、いっさい口出しさせませんから。逆に、ディレクターをおろしちゃったこともありましたから、我々が。あんなうるさいのはだめだって(笑)。

―― うはっ、ははは(笑)。すごい。「大喜利」という形は、昔からあるんですか。
あります。歌舞伎から出たっていう説と、寄席から出たっていう説と、二通りありますね。歌舞伎のほうは、「これぎり」なんですよね。「今晩はこれぎり」って、サゲがつかない。我々のは「大喜利」ですよね。私が前座、二つ目のころでも、ニッパチ月でいまのように寄席にお客さんが来ないときは、ずいぶん大喜利やりましたよ。都都逸相撲や、落語裁判、NHKがやってた「ジェスチャーゲーム」なんかも、寄席から出たもんです。

―― あっ、そうなんですか。僕らの子どものころは、ラジオにもテレビにも四六時中落語がかかっていました。いままた、落語が盛り返してるといわれますね。
ただ、ブームっていうのは必ず落ちる時がきますからね。ブームの時に責任を持たなきゃいけないのは、我々噺家です。上がっていくときは簡単ですが、落ちかけたときに、いかに長く水平に保ち続けられるか。落語を残すのも噺家の責任、落語のお客様を残すのも噺家の責任なんです。

―― なるほど、そうですね。
だから、「寄席に来てくれたお客様には、ああ面白かったっていうような噺をしてくれ」ってみんなによく言うんですよ。ところが、それがわからない人がいるんですよね。50分かかる話を、20分で終わりにしちゃったりね。噺家が噺を壊してどうすんだ、噺をつくるのが噺家だっていうんですよ。まあそういう人は、自分が末にみじめな思いをするだけだと思いますけど。

落語芸術協会80周年を迎えて

―― これから落語家を目指す若い人たちに、何かアドバイスはございますか。
落語家になりたかったら、日本語をはっきり覚えてこいって言いたいですね。日本語がえらく乱れてますから。これから噺家になろうとする人は、きちんとした日本語をしゃべるよう勉強してもらいたい。英語なんかどうだっていいんですよ(笑)。

―― そうですか(笑)。
いま、20人ぐらい前座がいるんですけど、東大出の前座もいるんですよ。こないだ、「うちの協会に大学出の前座は何人ぐらいいる」って聞いたら、全部ですって。無駄なことばかりやってきたね、って言ったんですよ(笑)。

022_pho04.jpg ―― 落語芸術協会会長として、今後をどのようにお考えになっていらっしゃいますか。
協会のことなんておこがましい。自分のことで精一杯ですから(笑)。でも、おかげさまで今年我が協会も80周年を迎えますんで、協会員一丸となってお客様にサービスし、次の85周年、90周年をめざして進んでいきたいですね。先人のこしらえてくれた協会ですからね。大事に守って行かなくちゃなりません。そのためには、やっぱりお客様に喜んでもらわなくちゃならない。それを協会員一同で心がけていきたいと思っています。

―― 今日は高座前のお忙しい時間、ありがとうございました。

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