PLAZA INTERVIEW

vol.019「抜群のギターテクニックと音楽知識で」

1974年のデビュー以来、「メリーアン」「星空のディスタンス」など数々のヒット曲を生み出した「THE ALFEE」にあって、抜群のギターテクニックと音楽への深い造詣を有することで知られる坂崎幸之助さん。また、林家三平師匠(初代)に師事した?というたくみな話術と幅広い知識で、「God Of DJ」と異名をとるほど多くのトーク番組や音楽番組で人気を集めてきた。その一方で、みずから「体の一部」と語るギターでは数多くの逸品を所蔵し、「広く深い」趣味のひとつ、カメラ収集などにおいてもレアーアイテムを所有して玄人はだしの知見を披露する。 今回はその坂崎さんにCPRA広報委員会の松武秀樹委員長が、音楽との出会いから趣味のカメラに至るまでの幅広く深いお話をうかがった。
(2009年10月09日公開)

Profile

ミュージシャン
坂崎幸之助さん(THE ALFEE)
1954年東京都生まれ。実家は墨田区の酒屋。高校3年の4月に、フォークコンテストに一人で参加し、後に「THE ALFEE」のメンバーとなる桜井賢に出会う。その後、高見沢俊彦が加わり1974年にシングルデビュー。抜群のトークと幅広い知識をもとに数多くのラジオ番組に出演、「God Of DJ」の異名をとる。多彩な趣味をもつことでも有名で、音楽関係だけでなく、フォトグラファーの田中長徳さんや、カメラ愛好家の片岡義男さん、東儀秀樹さんなど、幅広い交友関係を有している。
オフィシャル・ウエブ・サイト
THE ALFEE New Single 2009年10月7日リリース 「夜明けを求めて」(作詞・作曲 : 高見沢俊彦 / 編曲 : THE ALFEE with 岸利至) 東海テレビ・フジテレビ系全国ネット 連続ドラマ「嵐がくれたもの」主題歌

音楽の基礎はビートルズから

――坂崎さんはもともとフォーク好きで、ロック好きの高見沢さんと出会ってウッドストックなどの話で共感してグループを始めたと聞いていますが。
そうですね。ただ、僕も高見沢も、もともとはビートルズ好きで入口は一緒なんですよ。小学校4年のとき、お互いに兄貴の影響でビートルズを聞いてギターを始めたんです。初めて会ったときの話もビートルズでした。

019_pho01.jpg ―― ビートルズはハーモニーもあるし。
たぶん僕は、基本的にはバンド志向だったんでしょうね。ボーカルひとりのストーンズよりも、ハーモニーを重ねていくビートルズやクロスビー・スティルス・ ナッシュ&ヤングのようなバンドに、より魅力を感じていました。

―― そういう感覚は、ALFEEの音楽の底辺に流れていますか。
あると思います。高見沢はビートルズから、ツェッペリンをはじめとしたブリティッシュロックにいったんでしょうね。僕は、中学入ったときに自分のギターを買おうとしたら、親がエレキはやめてくれっていうんです。当時、エレキは不良っていわれてたからなんですけど。で、ヤマハのFG110というフォークギターを買ったんですけど、その年の暮れにちょうどザ・フォーク・クルセダーズ(正式名称)が出てきたんです。1967年。日本にもすごいフォークグループがいると思ったんです。

―― それでフォークに入っていった。
あのころのフォークはまだまだ「アングラ」っていわれてて、ソロになった加藤和彦さんとか、高石ともやさんとか岡林信康さんあたりをよく聞いていました。 だから、ビートルズまでは僕も高見沢と同じだったんですけど、フォークルに出会い、フォークに目覚め、岡林さんとか五つの赤い風船とか、学校で教えてくれない世の中の隠れた部分を知っていくんですね。あのころは学生運動もあって、自分の言葉で歌える、なんでも歌にして日本語で歌える面白さっていうのがあったんでしょうね。

ギターへの思い入れは深いものが

―― 坂崎さんはテレビ番組のなかでもいつもギターを抱えていますが、一言でいうと、ギターはどのような存在だったですか。
最初は暇つぶしだったんですけどね(笑)。今となって考えると、体の一部かもしれません。ギターが離れないとよくいわれます。コミュニケーションツールですかね。ただ、それがあまりにもうるさいっていうんで、拓郎さんによく怒られますけど(笑)。打ち上げにもってくるなよ、とか。

――マーチンとかギブソンとか、いろいろなギターを曲によって使い分けるのですか。

019_pho02.jpg これはもう、自己満足ですよね。聴く人には、マーチンかギブソンかなんてたぶん気にならないと思います。たとえば、ニール・ヤング風の曲だったら、絶対にニール・ヤングが使ってたD-45(マーチン製)だとか、ポール・サイモン風のアルペジオだったら、マホガニーのちょっと小ぶりのギターだとか。自分がそれを弾いてると、ポール・サイモンやニール・ヤングに近づいてると。そんな自己満足ですね(笑)。

―― ヤマハでギターをつくっていたテリー中本さんとは、ずっとコンビで。
テリーさんはジョン・レノンとかポール・サイモンのギターを手掛ける世界的な人でしたけど、最初お会いしたのは1981年ごろ。エレアコ(エレクトリッ ク・アコースティック・ギター)がやっと出てきた時代でした。それまで生ギターは、マイクで音を録ってたんですね。でも、だんだんバンドの音が大きくなってきて、アコースティックギターがハウリングを起こしやすいというので、マイクに変わり、ギター専用のピックアップが出てきてたんです。それで、最初から 半分生音を抑えて、ピックアップでとる時代にかわってくるころだったんです。ちょうど、ALFEEの音もいちばんでかくなってきたころです。

――ALFEEの演奏で使うギターを中本さんが。
ALFEEのライブの爆音のなかで、アルペジオ弾いても聞こえるギターを作りたいというコンセプトで3、4本試作して、最終的にはAPXっていうエレ・アコにまでたどり着いて。それでテリーさんはヤマハをやめて、「Terry's Terry」っていう自分のブランドをつくったんです。その「Terry's Terry」で、僕が最初に作ってもらったギターはいまでも、ライブではいちばん大事なギターです。

――爆音のなかで弾くとギターの音は?
いちばんの問題はハウリングですね。自分が弾いてなくても勝手に弦が共鳴しちゃう。アコースティックギターは板が共鳴しなきゃいけないのにそれを抑えるわけですから、逆のことをやるんです。難しい注文ですよね。

――コレクションでは、ジョン・レノンの使ってたギブソンのギターなどはお持ちですか。
ハイ、J‐160E。もちろん(キッパリ)。

――うわっ、すごい。失礼いたしました。
ビートルズものは、あとエレキのリッケンバッカー。335ですね。カントリー・ジェントルマンは、高見沢がこのあいだ手に入れていました。憧れのミュージ シャンと同じ楽器を手にしたいというのは何歳になっても変わりませんね。ポール・サイモンだったらD‐18とか、ニール・ヤングだったらD‐45とか。

趣味の世界では「広く深く」

―― すごいコレクションですね。コレクションといえば、趣味のことですが......
あ、これは話すと長いですよ(笑)。僕の趣味は広く深いんですよ。気になると、専門家と語り合えるぐらいのところまでいきたいので、どうしても深くなっちゃう。

―― クラシックカメラを集められているということですが。ライカなんかもたくさん?
そうですね。カメラの大本ですよね。いまみんなが使ってる35mmのフィルムを使った、最初のカメラですから。それまでは、写真館にあるような大きい、 8×10とかいうカメラしかなかった。あれは、フィルムをそのまま焼くんですよね。密着焼きっていって。そのフィルムの大きさが、写真の大きさだったんです。ライカは、映画のフィルムを使って1コマを小さくとって、引き伸ばして大きくするっていうのを始めたんです、1922年に。この発想はすごいですね。

――はあ。
一説によると、当時、オスカー・バルナックっていう人がドイツ人のわりに小さかったらしいんですね。で、山に登って写真撮ったりするのに、大きいカメラをもっていくのが大変だったんで、映画のちっちゃいフィルムを小さいカメラに詰め込んで、あとで引き伸ばせばいいだろうって発想でやったらしいんです。それがいまのカメラの大本です。

――すごい知識ですねえ。でも、忙しくて、カメラをもって出かける余裕はあまりないと思うんですが。

019_pho03.jpg だいたい、ツアーに出たとき。それと、家の動物ですね。あと、スタジオで高見沢が曲書いてるときとか、桜井がバカやってるところとか(笑)。なぎら健壱さんに下町撮りに行こうとかいわれるんですけど、なかなか時間がなくて。撮るのはデジタル、集めるのは昔の機械式のカメラが多いです。憧れのライカを中心に、旧東側のロシア、東ドイツ、チェコなんかのカメラもあるし。ドイツはカメラの本場で、西にも東にもすごい歴史があって面白いんですよ。ツァイスはもともと国をあげてつくった会社で、東側のイエナっていう町にあったんですね。太平洋戦争が終わった時、そのまま残しておくとドイツの損失になるからこれを西側にもっていこうと、国が東と西にわかれる前の晩に、トラック何十台でイエナに入って技術者ともっていけるだけの材料を西にもっていったらしいですよ。カメラひとつとっても、すごく歴史があって面白いですね。趣味をやってると、そういうことも勉強になるんですね。学校じゃあ歴史なんて全然好きじゃなかったんだけど(笑)。

「フォーク界の介護士」と呼ばれて

―― 歴史の話が出たところで、日本のフォークの歴史についても、ものすごく知識をお持ちですが、何かきっかけがあってですか。
まあ、最初はフォークルですね。兄貴が買ってきたアルバムを聴かせてもらって。深く追及する性格なので、そのうちに、こりゃあ4カポでやってるなとか、変則チューニングだなとか。だいたいがレコードを聴いてコピーしてましたね。

―― 僕はフォークル再結成のときの演奏をNHKホールで観させていただいたんですが、はしだのりひこさんの代わりに出て、即興でいろんなものを弾いてしまう。 ああいうのは、いろんな知識とかがあってできるんですか。

019_pho04.jpg やっぱり、ある時期「虫」にならないと。15、6歳から熱くなり始めて、デビューしたあとも24、5歳ぐらいまでは、本当にギターの虫でしたね。1日中弾いてました。ただ聴くだけじゃだめで、レコードを聴きながらずっと一緒に弾いてるのがたぶん、僕のいちばんいい練習法だったんじゃないかと思います。今日はガロのマークのパート、今日はビートルズのジョージのパートとか。かぐや姫なら正やんのパートとか。レコード聴きながらセッションして、そのメンバーが抜けたら自分がやるみたいに思って。そうやって、レコードと一緒にずっとセッションをするという聴き方だったですね。

―― それで体にしみついていくというか。
ですね。それがいまになってみると功を奏してるんですよ。こうせつさんとやるときも「正やんパートやります」とか、アリスのときはべーやんパート、チューリップなら財津さんパートとか。よっぽど家で勉強しないで、レコードばかり聴いてたんでしょうね(笑)。

―― フォーク・フレンドシップ・アソシエーションの「FFAフォーク・デイズ・スペシャル」も、ナビゲーターとして何十回と回を重ねていますが、多彩なゲストとのコラボがすごいですね。
ゲストのことを知らないと失礼ですからね。リハーサルなしで一緒に演奏できるぐらいのとこまでいけば、頑固な先輩も喜んでやってくださるんです(笑)。やはり、自分がリスペクトしてないとダメだと思います。単に仕事だというだけではできないですね。

―― 今後も、いろいろな方のパートを習得していただいて......
小室等さんからは「フォーク界の介護士」という称号を頂きました(笑)。活動を休んでいる人とか、ライブを何十年もやってない人をひっぱりだすことが多くて。それで復活してくれた人も多いし、現役でやってても昔の歌を歌わない人が多いでしょ。でも、「僕ら聴きたいのはこれですよ」っていっても、坂崎なら大丈夫みたいな。たぶん先輩にも、「おまえにはかなわねえ」なんて思われてるところがあるんじゃないかと思ってます(笑)。最終的には、拓郎さんに「人間なんて」、岡林さんに「友よ」を歌ってもらいたい。絶対に歌ってくれないでしょうけどね(笑)。

―― ぜひ、個人的にも応援したいと思います。今日はどうもありがとうございました。

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