PLAZA INTERVIEW

vol.009「スタンダードナンバーを追い求めて」

1970年代前半に、いまも幻の名盤として語り継がれるアルバム「摩天楼のヒロイン」でシンガー・ソングライターとしてデビュー。79年には「モンローウォーク」が大ヒット。その後も、映画主題歌の「スローなブギにしてくれ」などのヒットを出すほか、多くのアーティストに曲を提供し、映画音楽なども数々手がけるなど、多彩な活動を展開してきた南佳孝さん。幼いころから聴いていた音楽が、兄姉の影響によるスタンダードナンバーや映画音楽で、すでにそのころから自分のなかにメロディーラインができあがっていったといいます。7月17日におこなわれた第2回「c2c・音楽の絆」イベントのライブ直前、CPRA広報委員の松武秀樹が、スタンダードナンバーへの思いや曲のつくり方、これからの音楽の方向性などについて伺いました。
(2007年08月07日公開)

Profile

シンガーソングライター
南佳孝さん
1950年東京生まれ。小学校のころから兄、姉の影響でスタンダードナンバーやポップスに親しむ。大学時代にシンガーソングライターとして創作活動に入り、72年に「リブ・ヤング」のシンガー・ソングライターコンテストで3位に入賞。73年に「摩天楼のヒロイン」でデビュー。79年に「モンローウォーク」、81年に「スローなブギにしてくれ」などのヒットを出すほか、松田聖子、沢田研二、中森明菜、岩崎宏美、薬師丸ひろ子など多数のアーティストに提供した曲は100曲を超える。

「スタンダード」から音楽に触れて

―― ステージ直前のお忙しい時間ですが、よろしくお願いします。プロフィールを拝見すると、「子どものころから兄姉の影響で洋楽ばかりを聞いて育ち」とあるんですが、どんなジャンルの音楽だったのですか。
ナット・キングコールとかフランク・シナトラなんかのスタンダードナンバーですね。兄や姉は10歳ぐらい上だったから、僕が4、5歳ぐらいから流れてたんじゃないかな。ビートルズが出てくるまで、レコードでそういうのばかり聞いてましたよ。

―― もちろん、すべて英語じゃないですか。内容はわかって聞いていたんですか。
いや、こういう感じがいいなあって、洋楽ばかり聞いてた感じですね。マントバーニーとか、インストルメンタルのもありましたね。映画も好きでしたし。ニーノ・ロータとか、印象に残る音楽がたくさんありましたよ。

―― じゃあ、グッとくる音楽が好きだった?
僕はつくづくメロディー人間だと思うんだけど、映画音楽なんか、メロディーを聞くとそのシーンが思い浮かぶぐらい喚起力があると思うんですよ。「アラモ」のテーマソングや「太陽がいっぱい」とか。そのへんから、自分でメロディーに興味をもったという感じはあるかもしれないですね。

009_pho01.jpg ―― 作曲は、どういうやり方でするんですか。
曲を書いたら、一回ほっぽっちゃうんですよ。食いつきのいいとこだけ書いて、一回冷ましちゃうっていうか。それで、あとで聞いたときに、「あ、これ映像浮かぶな」とか「これ空気が流れてるな」って感じるものをピックアップしていって、継ぎ足して、磨いてみたいな感じ。映像が見えるというのは、自分のなかでは大きなキーワードですね。

―― すると、モチーフ的なものをいくつもつくっておいて、聞きなおして集めるような。
何回聞いても「これはやっぱり食いつきあるな」っていうのを、1個ずつ抜いてくようなね。逆に、これうまくまとまってるんだけど、なんか食いつきがないなっていうのはボツにしちゃうんです。

「都会的」なイメージの歌で

―― 1972年にフジテレビ系の番組「リブヤング」のシンガー・ソングライターコンテストで3位になり、73年に松本隆さんプロデュースの「摩天楼のヒロイン」でデビュー。初レコーディングのときの印象は?
僕はまだ、右も左もわからなくて。なんとなく曲を書いて、はっぴいえんどを終わったばかりの松本隆がプロデュースで、アレンジしてくれた矢野誠さんは、僕は大学のときから近所で知っていたんです。自分ではアルバム1枚出せばいいかなっていう思いだったんだけど、当時はフォークソング全盛だったんで、何か違うことやろうよって松本君と話しあってね。お互い都会っ子でニューヨークが好きだったりで、「やっぱり街だよね」ってなって、いろんなものつくっちゃおうってなったわけ。で、松本君に詞をもらったりして初めから曲をつくり始めて、シンセサイザーも松武さんにお世話になって。だから、僕は何も知らなかったんだけど、最初に付き合った人たちにすごく恵まれてた。ほんとラッキーだったと思いますね。

―― 「摩天楼のヒロイン」というアルバムタイトルは、ご自分で考えられたのですか。
なんか、摩天楼っていう言葉が斬新ですよね。 あれは松本君が考えてくれたんです。あのころとしては、斬新だったですね。

―― ステージの初デビューが、はっぴいえんどの解散記念イベントですか?
文京公会堂っていうところで、はっぴいえんどが解散コンサートをやったんだけど、そのトップバッターでやったんですよ。はっぴいえんどファミリー&チルドレンみたいな感じで、吉田美奈子とか僕とか、ハチミツパイとか、いろんな人たちが出たライブだったんです。僕の「摩天楼のヒロイン」の発売日に解散コンサートで、そのトップで出たんです。

―― そのときの音、聞きたいですねえ。そして、いよいよ皆さんご存じのヒット曲、79年に「モンローウォーク」が発売になりますが、ああいう曲を作曲しているときはどんな感じだったんですか。

009_pho02.jpg 南の曲は、いいんだけどなんか難しいんだよな」とか、「もっとみんなが口ずさめるような、あざとい部分も必要なんだ」とかディレクターにいろいろいわれてたんです。で、なんだろうな、マイナーでラテンかななんて考えて。最初はCM曲だったんですけど、CMは落ちちゃって。でも、ディレクターが「これは食いつきあるんじゃないか、曲にしよう」っていう話で、坂本龍一君がアレンジしてくれて、「モンローウォーク」っていう曲ができたんですよ。それで、僕がアルバム出したら、郷ひろみ君が毎年1、2か月ニューヨークへ行くんだけど、その空白の期間にディレクターが「モンローウォーク」やりたいっていってくれて、相乗効果みたいなので。

―― あれ、大ヒットしましたよね。今日も歌っていただけるんですか。
やります。

スタンダードナンバーをつくりたいと

―― そのあと、「スローなブギにしてくれ」など大ヒットも出されるんですが、いろんなアーティストの方に曲も提供されていますよね。他のアーティストのために書く場合は......。 「スローなブギにしてくれ」みたいな曲でっていうオファーはあまりなかったですけど、「モンローウォーク」みたいな感じでつくってくださいっていう注文は何百とありましたね。それとは別に「こんな感じで」っていうのもありましたけど、基本的にこちらにオファーがきたときは、その歌手の人をある程度ディレクティングするみたいに考えていいんだなって思ってやりました。音域もあるしね。たとえば、とつとつとしゃべる女優の子だったら、あんまり音符が多くないとか、そんなことは考えて作曲しましたけどね。

009_pho03.jpg ―― 南さんのいちばんもとにながれてるジャズだとか、スタンダードだとかは、やっぱりずっと心の底辺にあるものなんですか うん。なんも変わってないですよ、僕は。デビューしたときから。やっぱり、1曲でも多くスタンダードナンバーをつくりたいっていうのが、デビューしたときから一緒ですから。

いちばん大事なのは「ハート」

―― 今日は「c2cイベント」でライブをやっていただくんですが、私的録音補償金についてはどう考えていますか。 むずかしいことはわからないですけど、やっぱり僕たちも音楽を続けていけるよう、守るべきところは守ってほしいと思いますね。

―― 今後も若い世代のアーティストにもいろいろな形で影響を与えていくと思いますが、ご自身はどういう形で活動されていこうと。 僕は自慢すると、次に何がくるかとか、わりと先を見るのは得意なタイプだと思ってるんですよ。でも、いまはホント見えにくい。たぶん、すごい大転換期なんだと思うんですよ。レコードの流通の経路とかでも、音楽に対する若い人たちのアプローチの仕方とか、聞くところとか。でも、自分としてはやり方をかえることはできないし、ハートに響く音楽がやっぱりいちばんいいかなって。吟味して吟味して、いろんなこと試行錯誤しながら、ずっとこれでやっていくんだと思います。

―― 最後に、これからの音楽をめざす若い人たちに、一言アドバイスをいただければ。

009_pho04.jpg そんな、とんでもない。この前も、斉藤和義君ていうギターのすごくうまい若手が「モンローウォーク」と「スローなブギにしてくれ」をカバーしてくれて、嬉しいですよね。やっぱりハートだと思うな。松武さんを前にしておこがましいんですけど、コンピュータ音楽のなかにも、雰囲気を入れることはできると思うのね。それが、ハートなんだと思いますよ。そこを大事にしていきたいですよね。真面目だな、答えが(笑)。

―― ありがとうございました。ということで、本番のステージよろしくお願いします。

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